64番 父公任は若紫、長男定頼は宇治の川霧

藤原定頼、55公任の長男です。60小式部内侍に「大江山~~」の歌を詠ましめた男。
時代は11世紀に入ってきます。宇治と言えば源氏物語。この辺も考えてみましょう。

64.朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木

訳詩:    朝ぼらけ 川霧がうごく 宇治の川霧が
       瀬音は澄んで空にのぼる
       あちらの網代木 こちらの網代木
       川霧のたえまたえまに姿を見せるや
       はや 晴れ晴れと白波たてて 網代木の姿

作者:権中納言定頼(藤原定頼)995-1045 51才 55藤原公任の長男
出典:千載集 冬420
詞書:「宇治にまかりて侍りける時よめる」

①藤原定頼 小野宮流藤原公任の長男 母は昭平親王(村上帝皇子)の娘
・父は一世を風靡した文化人(三舟の才) 道長と同年齢で政治的にも無難に勤める
 →父の期待も大きかった。凄いプレッシャーであったろう。

・定頼、最初は武官畑(近衛少将)、後文官に転じ蔵人頭(出世コース)
 ただ官人として心配りに欠けるところもあったようで昇進は左程でもなかった。
 人を嘲笑する時摂政頼通の名前を出し、頼通に謹慎させられたり。
 →頼通・教通兄弟対立の構図の中で妹が教通の妻になっていたこともあり教通派と目されていたのかも。
 →やはり時代の勝ち馬に乗ることが出世への一番道なのだろう。

 三条帝の春日大社行幸で行事役でありながら従者同士のいさかいで相手方を打ちのめしお役御免になったことも。
 →63荒三位ほどではないが乱暴はいただけない。父公任も心を痛めたことだろう。

・どうも定頼は道長・頼通への滅私奉公ぶりに労を惜しんだようで人事評価を下げられている。
 →「定頼才能ありて賢きことは賢けれど緩怠なる事またはなはだし
 →本心はともかく上司にそう思われては昇進は覚束ない。
 →ずぼら、軽率、かっとなる。処世に不器用だったということか。

・女性関係 
 超有名人の二世で歌も良し、書は名人、経も抜群、容姿端麗。
 →そりゃあモテたでしょう。
  58大弐三位、60小式部内侍、65相模と恋の遍歴を重ねている。

・父公任には孝を尽し76才まで生きた公任の晩年まで寄り添っている。
 →父には終生頭が上がらなかったのであろう。でも孝行息子は好ましい。

②歌人としての藤原定頼
・後拾遺集以下勅撰集に45首 私家集として定頼集
 →女性上位の年代にあって気を吐いた男歌人ではなかろうか。

・一条帝の大堰川行幸で歌を詠んだとき父公任も同行し、息子がどんな歌を詠むかハラハラドキドキしていた。
 定頼:「水もなく見え渡るかな大堰川~~~」(上の句)
 公任:「えっ、水もない? なんじゃこれは、どう続けるんじゃ」
 定頼:「峰の紅葉は雨と降れども~~」(下の句)
 公任:「おっ、そうか。やりおった、さすがオレの息子だ」
  →場所は大堰川、先年公任が道長による風流イベントの際「三舟の才」と褒めたたえられた所。
  公任 三舟の才の歌:をぐら山嵐の風の寒ければもみぢの錦着ぬ人ぞなき

・千人万首より
 大弐三位への贈歌
  梅の花にそへて、大弐三位に遣はしける
  来ぬ人によそへて見つる梅の花散りなむ後のなぐさめぞなき
(新古今集48)
   大弐三位 返し
   春ごとに心をしむる花の枝に誰がなほざりの袖か触れつる(新古今集49)
   →これは昔の恋人時代をお互いに懐かしんで詠んだ歌だろうか。  

 父公任への贈歌(父と息子で風流に歌の贈答、いいですねぇ)
  雨のいとのどかにふるに、大納言公任につかはしける
  八重むぐらしげれる宿につれづれととふ人もなきながめをぞする
(風雅1795)
   →47番歌が思い出される。
    八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり(恵慶法師)

③64番歌 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木

・読んでいくと冬の朝の宇治川の景色が頭の中にはっきりと現れてくる。
 「たえだえにあらはれわたる」というのがいい。
 各解説書とも冬の早朝の実景に基く叙景歌として評価は甚だ高い。
 「百人一首中、屈指の佳作の一つだと、私は思う」(田辺聖子)

・出典は千載集(定家の父藤原俊成が撰者)
 百人一首中千載集は14首 初出が55公任の「滝の音は」、2番目が64定頼の「朝ぼらけ」
 →俊成父子は公任―定頼を藤原の歌詠みとして高く買っていたのであろう。
 →父子対決としては定頼の「朝ぼらけ」の方が断トツにいいでしょうね。

・舞台は宇治
 .平安時代貴族の別荘地であった。源融の宇治別荘。その後道長のものになりそれを頼通が引き継いで寺院にしたのが平等院(1052)この時定頼は没している。
 .初瀬長谷寺詣での際の中宿りの地 蜻蛉日記にも出てくる。
 .宇治川は琵琶湖が源流、瀬田川~宇治川となって山崎で木津川・桂川と合流し淀川となって大阪湾に注ぐ。
 .宇治は憂路
  8喜撰法師 わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり

・本歌とされるのは柿本人麿(万葉集)
  もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
  →「人間の生死流転が寓意されている」なんて見かたもあるようだが、、、よく分かりません。単純でいいのでは。

・唱歌「冬景色」 大好きです。YOUTUBEで3回聴きました。
 ♪~~さ霧消ゆる 湊江の 舟に白し 朝の霜
    ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家

・「朝ぼらけ」で始まるのは31坂上是則があり大山札である。
  朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

④源氏物語との関連
・宇治と言えば源氏物語宇治十帖
 (八の宮)宇治といふ所によしある山里持たまへりけるに渡りたまふ。思ひ棄てたまへる世なれども、今はと住み離れなんをあはれに思さる。網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いかがはせん。(橋姫5)
 →四苦八苦、半年かけて宇治十帖に取り組んだ日々が懐かしい。
  椎本~総角は長かったシンドかった。東屋で浮舟が登場しホッとしたものです。

・いつも宇治川の急流、瀬音、川霧が叙述され宇治十帖の世界を象徴していた。
 薫が大君を想った宇治橋、匂宮が浮舟を小舟に乗せて渡った宇治川、そして浮舟が身を投げた宇治川。

 宇治十帖より思い出深い歌を3首
  橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる(薫@橋姫)
  橘の小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ(浮舟@浮舟)
  ありと見て手にはとられず見ればまた行く方もしらず消えしかげろふ(薫@蜻蛉)

・さて定頼は64番歌を詠んだ時源氏物語の宇治十帖を既に読んでいたのだろうか?
 父公任が紫式部の局を訪れ「若紫やさぶらふ」と言ったのは1008年、その後源氏物語は書き続けられ宇治十帖も定頼の時代には流布していたのではないか。宇治十帖は大弐三位の作だという説もあるくらいで定頼は恋人だった大弐三位から源氏物語のこと、宇治十帖のことは詳しく聞いていたのではと考えます。

・定家は63番の前斎宮と名門貴公子(道雅)の悲恋を、64番宇治十帖の薫と大君・浮舟との悲恋の中に置いて眺めている。。。。とは安藤次男の説
 →源氏物語を信奉してた定家が百人一首に源氏物語をできる限り取り込もうとしていたことは間違いない。
 →63番、64番は源氏物語絡みの名歌選と言えよう。

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64番 父公任は若紫、長男定頼は宇治の川霧 への14件のフィードバック

  1. 浜寺八麻呂 のコメント:

    64番歌、冬の朝の宇治川の風情が水墨画のように目に浮かびあがり、切々とした無常観を感じさせる、真に美しい優れた歌だと思う。
    松風有情さん、無理を言いますが、絵にはならないでしょうか。

    田辺聖子さんは63番歌ともども、秀歌とほめておられるが、叙情詩である63番歌より、叙景詩であるこの64番歌のほうが、小生は好きである。それにしても、定家も、道雅、定頼と同時代の似たような二人の貴公子を63番・64番とうまい歌順繋ぎで構成したと思う。

    また、爺が引用してくれているが
    ”定家は63番の前斎宮と名門貴公子(道雅)の悲恋を、64番宇治十帖の薫と大君・浮舟との悲恋の中に置いて眺めている。。。。とは安藤次男の説”
    とは、言われてみれば、なるほど納得である。

    ”百人一首 今昔散歩”P230-231にある”宇治川ライン鳥瞰図”を眺めていると、光景が浮かんできて、これまた美しい。

    琵琶湖から、瀬田唐橋を抜けた瀬田川は、直ぐに、行ったばかりの石山寺(鳥瞰図には紫式部も描かれている)の前を通り、その後、米かえ、鹿とびを越え、喜撰法師が隠棲した喜撰山の脇を通り、天瀬ダム・発電所を流れ落ち、宇治川となって、平等院・宇治上神社を通過し、宇治橋をくぐり、三宝戸寺を通り、岩清水八幡宮で、爺も書いてくれているが、桂・木津川と合流し、淀川となる。
    源氏物語完読旅行で訪れた場所も懐かしく思い出される、古典文学の名所を巡る川旅である。

    定頼の歌は、千人万首から、爺が引用してくれているが、あと一首

    隋風尋花といへる心をよみ侍りかる

    吹く風を いとひもはてじ散りのこる花のしるべと 今日はなりけり (続後撰119)

    • 百々爺 のコメント:

      ・霧は白となって色を隠すので水墨画の世界になるのでしょうね。
       霧について調べてみました(Wiki見ただけですが)。
       霧=水蒸気を含んだ大気の温度が下がり水粒となり空中に浮かんだ状態
       霧が大地に接してないものが雲、大地に接しているのが霧
       この状態で視界が1km未満のものが霧、1km-10kmのものが靄(もや)
       霧は秋の季語で靄は春の季語

       霧で有名な町、釧路・丹波・人吉盆地 サンフランシスコ・ロンドン
       →宇治の川霧、小野の山霧も入れておきたいですがねぇ。

       そして「霧」を題名に含む歌謡曲、、、いっぱいありましたね。
        好きな歌羅列しますと、、
         哀愁の街に霧が降る(S31 山田真二)
         霧笛が俺を呼んでいる (S35 赤城圭一郎)
         霧の中の少女 (S39 久保浩)
         霧の摩周湖 (S41 布施明)
         霧にむせぶ夜 (S43 黒木憲)
          、、、、、キリがないので止めます。

      ・宇治川ライン鳥瞰図、面白いですね。
       日本三古橋というのがあって瀬田の唐橋、宇治橋、山崎橋(石清水八幡宮の少し下流か)。何れも宇治川ラインに架かる橋なんですね。
       
       何れも京都に向かう交通の要所でしばしば戦場となってきた。
       瀬田の唐橋は壬申の乱、藤原仲麿の乱、源平の戦い、その後もしばしば。
       宇治橋、宇治川は平家物語で佐々木四郎高綱(いけずき)と梶原源太景季(する墨)が先陣争いを繰り広げた所。

       ・・・瀬田の唐橋近くの石山寺と宇治橋のたもと、紫式部の像がありましたねぇ。

  2. 百合局 のコメント:

     この歌を選んでいることからも、定家の源氏物語好き、宇治十帖好きがうかがえますね。一幅の墨絵を観る感じがして、私の好きな歌の一つです。

    64番歌からは、定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるるよこぐもの空」に近い世界が感じ取られます。
    定頼は百々爺も指摘しているように、源氏物語を宇治十帖まで読んでおり、宇治十帖に描かれた世界を心の中に置いて、実際の宇治の景色を詠んだのでしょう。
    読者も同様に、物語と風景を重ね合わせることにより、この歌の理解が深まって、しみじみと良い歌だなあと感じたのでしょう。

    謡曲『鞍馬天狗』にある「花咲かば告げんと言ひし山里の 告げんと言ひし山里の 使いは来たり馬に鞍 鞍馬の山のうず桜 手折枝折をしるべにて~」は源頼政(1104~1180)の歌「花咲かば告げよと云ひし山守の来る音すなり馬に鞍置け」を転用していますが、平安時代から鞍馬・貴船の桜はうず桜と呼ばれ、藤原定頼は「これやこの音にききつるうず桜鞍馬の山に咲けるなるべし」と詠んでいます。

    鞍馬寺から沢伝いに歩いて降りて行って貴船神社へというコース(和泉式部関連でもある)、そのうちみんなで歩いてみませんか。

    • 百々爺 のコメント:

      ・定頼は大弐三位らと源氏物語講読会を開いていたのではないでしょうか。そして宇治十帖を共に読みその完読記念旅行として講読会メンバーといっしょに宇治に赴いた。勿論大弐三位も同道。そのようにして「宇治にまかりて侍りける時よめる」のがこの64番歌だった、、、即ち宇治川のほとりに宿りして夜っぴて宇治十帖、薫の大将・浮舟のことを語り合いそして朝、宇治川べりを散歩したときの歌、、、それに違いないでしょう。

       そして我らが完読記念旅行のとき詠まれた名歌が、、、
        人の世の愛着生死を呑み込みて変はらず流る大き宇治川(式部)
        秋果つる宇治の水際に佇めばいにしへ遥か浮舟思ほゆ(青玉)

      春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるるよこぐもの空
      これはもう定家が源氏物語を詠んだ歌そのものだと思います。

      ・「鞍馬天狗」って大仏次郎・嵐寛寿郎かと思ってましたが謡曲にもなってるのですね(逆ですかね)。そこにも定頼の歌が見えますか、繋がっていますね。

        鞍馬山から貴船神社、行ってみたいですね。若紫が雀の子を逃がした所も近いようですしね、、、。完読記念旅行の候補の有力候補でしょうか。宿はまた餅虎でもいいし。

  3. 松風有情 のコメント:

    水墨画には興味ありますが、まだ手付かずです。
    代わって源氏物語46帖『椎本』を添付します。

    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/04/KIMG0111.jpg

    雪ふかき
    山のかけ橋 君ならで
    またふみかよふ
    あとを見ぬかな

    (大君)

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

       大君に言い寄る薫、「(匂)宮はどうやら妹君(中の君)の方にご執心のように思われます、、、」なんて言いながら。そんな状況での大君の返歌。

       絵は椎の大木(故八の宮に守られた大君)の所へと宇治川を上る薫の大将の姿でしょうか。

       

  4. 小町姐 のコメント:

    名門小野宮流に生を受けるも父(55番藤原公任)共に官途には恵まれない。
    58番の大弐三位、60番の小式部内侍、共に64番の定頼とは男女関係にあったことは先のブログコメントでも指摘されている。
    二首とも男に対する手厳しい返歌であることに変わりありません。
    60番(小式部内侍)の相手は定頼、もしかしたら58番(大弐三位)歌の相手も定頼だったかも知れないとの由・・・
    さらに百々爺さんの解説からは相模とも、才媛相手に頑張りますね。
    その定頼の歌
       朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木
    この歌、一見客観的な自然描写に思えます。
    もしも源氏物語を読んでいなかったならばこの歌も単なる叙景歌としてさほどは心に残らなかったと思います。
    しかし我ら「源氏物語」を学んだ者にとっては単なる叙景歌とは到底思えず嫌が上にも宇治十帖の世界が広がるのであります。
    そして京都宇治への旅、宇治川の急流と川音、深い霧、浮舟のさまよう姿が次々とあたかも現実と非現実が渾然一体となって幻のように巡るのであります。
    以前は何の変哲もない歌だと思っていました。
    源氏物語の後にはやはり味わい深く、そういう意味でこの歌は源氏に繋がる歌として今後私にとっては好きな一首になりそうです。

    他にも面白い逸話がある。今でいうメールの誤送信。
    ある人のもとにやれる文を取りたがへて離れにし人のもとにやりたりければ
    もう終わっていた過去の相手に恋文を届けてしまったのだ。
    その言い訳の歌が又面白い
       忘られぬ下の心やしるべにて君が宿には文たがへけむ
    心のどこかに秘められた貴女への忘れられない想いが手引きをしたのでしょうか、踏み違えて届けてしまいました。
    踏み違え、文違え、いかにも王朝らしい鷹揚さですね。

    三日間の三重滞在から先ほど帰りました。
    例の三重テレビ「斎王・幻の宮の皇女」の第二回目
    都から伊勢への5泊6日の斎王群行、これは結構見応えがあり、なかなかよく出来た番組で今後期待できそうです。
    皆さま、是非近々のローカルテレビで御覧ください。

    • 百々爺 のコメント:

      ・お忙しい中コメントありがとうございます。お母さまの一周忌も無事終わられたようでよかったですね。

       「斎王群行」、正しく帰られた一志が群行路・帰京路にあたってますもんね。当地の千葉TVは5月7日とのこと、楽しみです(忘れないようにしなくっちゃ)。

      ・宇治の川霧、、、インパクトありますねぇ。
       紫式部が光源氏なき後のストーリーの場として宇治を選んだのは大アッパレだと思います。薫や匂宮が半日かければどうにか通える距離。遠くもないし近くもない所とすると大津か鞍馬山か嵯峨野か、、。奈良方面がいい、でも吉野は勿論、初瀬あたりでは遠すぎる。。。ということで宇治を選んだ。大正解だったと思います。

      ・霧も随分源氏物語和歌に詠み込まれています。取分け宇治十帖には多数出てくる。

       涙のみ霧りふたがれる山里はまがきにしかぞもろ声になく(大君)
       朝霧に友まどはせる鹿の音をおおかたにやはあはれとも聞く(匂宮)
       秋霧のはれぬ雲居にいとどしくこの世をかりと言ひ知らすらむ(薫)
       →@椎本、八の宮を亡くし悲嘆にくれる姫たちに想いを馳せる薫・匂宮

      ・文の誤配、定頼の話ですか?面白いですね。文に関しては誤配、遅配、日にち間違い、盗用、使い回しなどなど面白い話がいっぱいありそうですね。父公任には絶対あり得ない感じですが息子の定頼はちょっと抜けてたのですかね。

  5. 枇杷の実 のコメント:

    歌は、美しい風景を歌った典型的な叙景歌とされている。
      朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
    夜が白じらと明ける頃、宇治川に立ち籠めていた霧が切れ切れに晴れてきて、その絶え間から次第に姿をあらわしてゆく、浅瀬浅瀬の網代木よ。
    網代漁をイメージできない現代人が局所的に想像すると、川面に立つ木杭が数本が現れてきて・・であまり綺麗な風景とは思われないかも。
    例えば、江戸川、手賀沼のボート、足漕ぎスワンを係留した杭を想像するとダメで、揺り動かされる情感は湧かない。(今の手賀沼は随分美しくなりました)
    宇治に、まかりて侍りけるとき 詠める」の詞書。本歌は柿本人麻呂の歌で、
     もののふの八十宇氏川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
    この頃、「源氏物語」が流布していたので、その中の「宇治十帖」を意識していたとされる。後の新古今集には「物語取り」の歌が多いそうだが、宇治十帖にこの本歌の歌意が重なると一転、抒情的な歌となりますね。百々爺さんおっしゃる通り、ここは単純に読むべきかな。

    旅先で、朝起きて目覚ましに一風呂浴びて早朝に湖岸、あるいは川堤を散歩する。スッキリしてから美味しい朝食に戻る。そんな時に欲しい外の景色ですね。宿を発つときには爽やか晴天、さ~次の旅先へ・・といった気分、カーラジオに「冬景色」が流れれば最高じゃないですか。

      三か月と肩を並べてあじろ守 (一茶)
      鳥ないて水音暮るる網代かな (蕪村)
      網代木は幽かに水を奏でけり (長谷川櫂)

  6. 百々爺 のコメント:

    ・あかつき→しののめ→あけぼの→あさぼらけ
     「あさぼらけ」=朝がほんのりと明けてくる頃
      
     枇杷の実さんの発想をお借りすれば定頼は誰か(大弐三位かも)を伴い宇治で宿泊、夜明け前に寝覚め、一風呂浴びて宇治川堤に散歩に出かけた。出たときはまだ暗かったが歩いている内に「あさぼらけ」、東の空からほんのりと明けてきた。ところが宇治川には霧がかかり川面は見えない。そうこうする内に所どころ霧が薄くなりぼんやりと川面が見えてきた(たえだえにあらはれわたる)。「あっ、これが宇治川名物網代木だ、夕べ食べた氷魚(鮎の稚魚)はこうして獲るんだ、ねえ、賢子。そうだ、匂宮と浮舟もこうして朝の散歩をしてたんだろうねぇ、、、」といった感じだったのかも。

    ・網代を詠んだ三句、紹介ありがとうございます。いい句ですね。
     「網代」「網代木」「網代守」が冬の季語
     山柳さん、川柳に加え俳句も勉強されてるようでけっこうであります。

  7. 文屋多寡秀 のコメント:

     朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

     朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木

    ともに冬の歌。
    前者は第31番、坂上是則の歌。後者は今回の64番、権中納言定頼こと藤原定頼の歌。
    両方ともカルタ競技の席では、「あさぼらけー・・・」で始まる。
    「あ」と来るか、「う」と来るか、一瞬のヒアリング、一瞬の判断、一瞬の動作・・・勝ち負けが分かれる。フィフティ・パーセントの法則も充分に支配する状況である。百々爺の言うところの大山札である。是則さんも定頼さんも自分の歌がこんなところで注目されているとは、つゆ知るまいけれど・・・。

    朝早く、夜が明け始めると、川霧が少しずつ消えて、川の背に転々と網代木が現れてくる、ということ。一幅の風景画のようなもの。素直に詠んでいるところを買うべきだろう。
    定頼は名高い歌人にして、三十六歌仙を選んだ藤原公任の子で、そこそこの歌人として評価されていたが、父は子を三十六歌仙に入れていない。よいたしなみですね。親というものは、とかく我が子の評価について身贔屓が過ぎて見苦しいものです。昨今の例でいえば排ガス規制疑惑の三菱グループの相川親子のように。

    この定頼は小式部内侍に嫌味を言ったことで知られる。彼女の反撃にあい、こそこそと立ち去ったということですが、今の歌のような、素直な風景画風の一首を見ると、厭味だけのおじさんではなかったのかもしれないと、今週も彼の阿刀田さんは慈愛の眼差しでのたまわっておられます。

     

    • 百々爺 のコメント:

      ・31番と64番、「あさぼらけあ」と「あさぼらけう」。大山札です。さてかるた会の源平戦(自陣25枚、相手陣25枚)において2枚の札がともに場に出ている確率はなんぼでしょう。

        31番が場にある確率は50%
        64番が場にある確率は50%
        従って31番・64番がともに場に出ている確率は25%
        さらに31番・64番がともに同じ陣に出ている確率は12.5%

        と言うことは大山札と言っても「あさぼらけ」の後の「あ」か「う」かを聞き分けなければならない確率は25%に過ぎず。75%の場合「あさぼ」と来れば決まり(39番「あさぢ」が同時に出てなければ「あさ」で決まる)ということですかね。「おっ、『あさが来た』」なんて言っちゃったりして。

        →この確率間違いないか、理科系の人おられれば検証ください。

      ・「あさぼらけ」で31番歌を読み返しましたが、これも吉野での冬の朝、ほんのり明けてくるに予期せぬ雪景色が浮かび上がってきて感動した素直な叙景歌だと思い至り見直しました。

      ・身内をひいきにしてはいけませんね。でも一生懸命応援することは大事だと思います。過保護は困りますが放任はもっといけません。。そうですよね。  

  8. 源智平朝臣 のコメント:

    富士山麓でのゴルフ、昼食会&飲み会などで忙しく、すっかり出遅れました。既に様々なコメントが寄せられていますので、新たな視点から3点ほどコメントしたいと思います。出典は省略しますが、コメントの材料は例によってネット情報です。

    第1は定頼が64番歌を詠んだ背景や経緯はどういうものかという点です。百々爺は大弐三位も含めた源氏物語講読会メンバーで宇治十帖完読記念旅行に出掛けて宇治に泊まった翌朝、宇治川べりを散歩した時に詠んだ歌と推測しています。他方で、智平は自分の娘の歌に対する定頼の返歌であるとの解説を見付けましたので、その紹介をしましょう。まず、この2つの歌が千載集巻六「冬の部」に前後して掲載されていますので引用します。
    ・定頼の娘の歌:(詞書)中納言定頼 世をのがれて後、山里に侍りけるころ、つかわしける
    都だに寂しさまさる木枯らしに 峰の松風思ひこそやれ 
    (00419)
    ・定頼の歌:(詞書)宇治にまかりて侍りける時よめる
     朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
    (00420)
    要するに、都にいる娘が「お父様がいらっしゃる山里の峰の松風の音はどんなに寂しいかと思いやられてなりません」と詠んだのに対して、定頼は「宇治はこんなに美しい情景もあり、寂しいばかりではないので安心おし」と娘を慰める愛情のこもった返歌をしたということです。もっとも、手元の解説書の中で64番歌が定頼から娘への返歌であるという説明をしているものは見当たらないこともあり、真偽のほどは確かではありません。

    第2は一世を風靡した文化人である公任を父に持つ定頼が、凄いプレッシャーの下で、歌作りで特色を出すべく努力をしていたことです。その一例として分かりやすいのは百々爺の解説で出てくる一条帝の大堰川行幸で定頼が詠んだ次の歌です。
    ・水もなく見えこそわたれ大堰川 岸の紅葉は雨とふれども
    この歌の上の句はまず「水量豊富な大堰川の水が無いように見える」と見立てており、そのあまりの意外性に公任は「不覚してけり」と青ざめました。しかし、下の句で岸の木々から紅葉が雨のように降っているので、大堰川の川面が紅葉に覆われて水が無いようにみえるのだというタネ明かしをし、公任を安堵させました。これは逆転発想の歌で、この歌の場合、
    逆接の接続助詞「ども」を一番末尾に持ってきて、逆転発想のインパクトを最大限に効かせています。この歌が詠み上げられるや否や、場は「やんややんや」の喝采で盛り上がったと思われ、そうした演出効果も計算された歌と言えます。古瀬雅義教授によれば、こうした「意外な見立てと逆転発想の妙」が定頼の歌の一つの特徴であり、公任を凌駕することは困難だと知りながらも、「公任のミニチュア」でないことを示す努力の表れと言えます。

    第3は政治面では父の公任が権力を握った道長に随従する道を採ったのに対して、定頼は道長に対しても筋を通して賢人右府と呼ばれた藤原実資(公任の従兄弟)の路線を見習い、政治面の評価で公任を乗り越えることを目指した気配があります。その表れは道長の後継者である関白頼通に対抗心を燃やしていた弟の教通が頼通の反対を押し切って娘の生子を後朱雀天皇の後宮に入内させた時、多くの殿上人たちが頼通に遠慮して参列しなかったにも拘らず、定頼は5人の貴族の一人として参列していることです。定頼は教通とは義理の兄弟であるという事情はあるものの、上記の古瀬教授は公任と違って政治面では筋を通すことを示したかったという内的要因も働いたのではないかと推測しています。いずれにせよ、第2&第3は公任という偉大な父を意識せざるをえなかった定頼の苦労が偲ばれる話でもあります。

    • 百々爺 のコメント:

      相変わらずホモルーデンス、「智世の春」を満喫されているようでけっこうですね(あまりゴルフうまくなり過ぎないよう。ほどほどがいいのですぞ)。

      ・そうですか、千載集での並びで64番歌の前は娘から定頼への歌なんですか。知りませんでした。ポイントですよね。それにしてはどの解説書にも触れられていない。不思議です。定頼の年譜みても山里に隠居(或いは謫居)したなんてないし、それが宇治だったとも書かれていない。ちょっと謎ですね。若い時色々問題おこし謹慎などしてたのでその時山里に逃れたことがあったのか分かりませんがそれは若い時。まだ娘は歌など詠めなかったでしょうし。晩年出家した後、喜撰法師にならって宇治山に籠った、その時の歌の贈答という解釈は成り立つでしょうか。

       松風=山里の寂しさを象徴する歌語。

       身をかへてひとりかへれる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
          (明石の尼君 @松風)

      ・「意外な見立てと逆転発想の妙」ですか、なるほど。
       真正面からオーソドックスに勝負したら父公任にかないっこない。それなら個性的に一発逆転を狙ってということでしょうかね。
       
       →「水もなく」の歌は逆転発想ですが「あさぼらけ」は素直な真っ向勝負。しかも公任の55「滝の音は」を凌駕してると思うのですがいかがでしょう。

       →代打男で最後のチャンスに出て来て逆転サヨナラホームランを狙う男。こういう人がいるチームは強いものです。

        空前絶後と言われているのが2001年の近鉄の北川博敏の「お釣り無し代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」=(3点差をひっくり返しサヨナラ勝ちで年度優勝が決定した)。こんなことはもう起らないだろうと言われています。
        (関係ない話でスミマセン)

      ・小右記の藤原実資、色んなところに登場しますね。こういう斜に構えた人も面白い。小説になるでしょうね。  

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