2番 続いて持統 天の香具山

お花見は楽しまれましたか。春爛漫、プロ野球も開幕しハリルジャパンも新規スタート。毎日がフリーな身とは言え何か新鮮味を感じいい気分でおります。

毎回多数のコメントをいただきありがとうございます。話題も談話室らしく多方面にわたり嬉しいかぎりです。本当はもっと歌の解釈に焦点をあてた解説をと思うのですが能力的にちょっと無理なようです。大岡信の訳詩はありきたりの現代語訳でなく斬新で分かり易いと思うのですがいかがでしょう。どうぞ日記がわりに感じたこと何でも書き込んでいただければと思います。

2.春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山

訳詩:   春はいつしかすぎゆき
      夏がきたらしい
      夏ともなれば白妙の衣を干すのが習いの
      あの香具山に 今年もまた
      白い着物が並びはじめたそうな 
    

作者:持統天皇(645-702) 58才 天智天皇の第二皇女 天武天皇の皇后
出典:新古今集 夏175
詞書:「題しらず」

万葉集原歌
 春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山

①百人一首の中でも一二を争う有名な歌。爺も持統天皇が大和三山の一つ天の香具山を詠んだ夏来たりぬと言う歌、、程度に軽く考えていました。ところが天智~天武~持統という流れを勉強するにつれ持統天皇の凄さに圧倒されています。

 持統天皇=鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
 645 @1 生まれは大化の改新の年!
 657 @13 天武(父天智の弟)の妃に
 663 @19 白村江の戦い
 672 @28 壬申の乱
 673 @29 天武天皇即位、皇后に 以後天武のパートナーとして政治に携わる
 686 @42 天武没、称制開始 大津皇子の変
 689 @45 飛鳥浄御原令施行(天武念願の事業)
 690 @46 持統天皇即位
 694 @50 飛鳥京遷都(天武念願の事業)
 702 @58 大宝律令施行を見届け没! 遺言で火葬

 →想像を絶する壮絶な人生である。日本史上最強の女性政治家ではなかろうか。
 →天智の大化の改新に始まった日本の国づくりを壬申の乱を経て天武が引き継ぎ、天武の死後持統が完成させたという図式であろうか。
 →百人一首の1番が天智、2番が持統(天智の子であり天武の皇后)というのは納得である。

②1番「秋の田」が瑞穂の実る敷島(日本国)全体を詠んだに対し2番「天の香具山」は大和国飛鳥・藤原に焦点を当てたものと言えようか。

③大和三山
 香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし
 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき

       (万葉集 中大兄皇子=天智天皇)

 →どうしても額田王を巡る天武・天智との三角関係が思い浮かぶ。

④天武&持統は相思相愛であったのだろう。天武の妻は何十人といたのだろうが持統こそ最愛のパートナー(国づくりにまい進する戦いでの戦友)の位置づけか。

 天武の死を悼む持統の挽歌が切ない(万葉集)
  燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや会わなくもあやし
  北山にたなびく雲の青雲の星離さかり行き月も離さかりて

春過ぎて夏来にけらし、、、
 爺はとっさに「夏は来ぬ」を思い出します。
   卯の花の におうかきねに
   ほととぎす 早も来鳴きて
   しのび音もらす 夏は来ぬ

 →「白妙の」が卯の花を表しているという説もあるようです。

みなさまは2番歌から何を感じられるのでしょう。

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2番 続いて持統 天の香具山 への20件のフィードバック

  1. 枇杷の実 のコメント:

    十二単の持統天皇、カルタ取りでわずかに記憶に残る歌の中の一首。
    香具山を望むといつのまにか緑増し青い空には白い雲、朝早くから洗濯物もたなびく、あ~もう夏ですね~。
    単純そうで意味するところは良く分からないが、メロディーな歌で広がりを感ずる。
    本によると天の香具山の神事、伝承に思いをはせ詠んだという。今年も世事平穏たらんと祈ったのか。
    故郷に日本武尊が伝説の社があり、遊び疲れた子供達はそこで涼んで小休止。
       夏がくる 白い鮎の背 鈴鹿川

    • 百々爺 のコメント:

      そうか、亀山は日本武尊神話の重要地でしたね。
      会社の先輩に亀山出身の人がいて鈴鹿川での鮎取りの話、何十回と聞かされました。何でも半分潜って周回する鮎を手作りの仕掛けに引っかけて捕る方法とのこと。余りの名人ぶりに周りの人から鮎捕り漁師になったらと言われお母さんは怒った、、、なんて言ってました。鈴鹿川今でも鮎は豊富なんでしょうかね。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    先週五日間、贅沢にも寺を巡り桜をめでに奈良・京都に旅していたので、コメントが出来ず仕舞いでした。一番歌に対する爺の解説もすばらしく、皆さんのコメントも教養が匂いかつ面白く読ませていただきました。レベルはかなり高いですね。がんばってついていきますので、よろしくお願いします。

    今回コメントは
    1)持統天皇の御歌
    2)天智・天武・持統天皇の時代
    3)今回の旅紀行他
    と3部に分けて書きます。

    1)持統天皇の御歌

    小生は(も?)一番歌・二番歌とも好きな歌で、百人一首では王朝風に詠みかえられているのでしょうが、歌の内容そのものは万葉的で癒される歌であると思っています。
    昨年桜の季節に明日香の里に行きましたが、天武天皇と持統天皇の御陵が二つ並んで明日香の里に溶け合ってたっていたのがすごく印象的で、(当時は今ほど歴史を知りませんでしたが)二人は仲が良かったのだなとふと感じました。
    爺が引用している
    ” 天武の死を悼む持統の挽歌が切ない(万葉集)
      燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや会わなくもあやし
      北山にたなびく雲の青雲の星離さかり行き月も離さかりて

    は正にその通りです。
    また、
    飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君が当たりはみえずかもあらむ”(万葉集)
    も持統天皇の歌といわれています(元明天皇説もあるらしいが)。
    この歌も天武天皇とのなかの良さが伝わってきます。

    ところで夫婦で天皇に就いたのは、この天武・持統とその親である舒明・皇極(斉明)の二組のみであると思っていますが、正しいでしょうか。

    持統天皇の時代は、柿本人麻呂が居り吉野や伊勢に御幸されたとき同行して歌を詠んでいますが、このあたり万葉集に好きな歌が多くあり、間違っているかもしれませんが、万葉集の絶世期かと思っています。この二番歌もそうした時代の中で生まれた良い歌だと感じています。

    • 百々爺 のコメント:

      いやあ歴史通になってきましたね。どうぞ貪欲にレパートリーを広げドンドン発言してください。

      1.天武・持統陵、明日香にあるのですね。先日の里中満智子氏の話によると持統は火葬だったので骨壺が天武の側におかれ仲良く眠っていたのに鎌倉時代に盗掘され遺骨は盗賊に捨てられてしまった。骨壺は戻されたがもう持統の遺骨は入っていないのですよ、、、とのこと。「盗賊め、とんでもないことしてくれたな」と持統を可哀そうに思いました。

      2.夫婦で天皇についたのちょっと調べてみると最初の女帝となった33代推古天皇(聖徳太子の叔母)も30代敏達天皇の皇后(妻)だったのでこれも夫婦ということになりますかね。後の女帝は何れも独身か結婚していても夫は天皇じゃないかですね。

      何れにせよ天武・持統夫婦は史上最強の夫婦と言えるのではないでしょうか。

      3.万葉集のこと余り勉強できてませんが持統帝-柿本人麿は万葉初期の黄金期を作ったコンビだと思っています。このあたり次回3番柿本人麿のところでも議論しましょう。

  3. 浜寺八麻呂 のコメント:

    2)天智・天武・持統天皇の時代

    小生は高校の日本史の教科書を買い読んでいるほどで歴史の知識は浅いのですが、歴史は好きですので、思ったことを独断で書かせていただきます。

    爺や源智平さんが言っておられるようにこの大化の改新の時代は日本が大きく動いた時代で、次は明治維新の時代に日本が大きく動いたと小生は思っています。

    隣に唐という超大国ができ、日本は白村江の戦いで唐に破れ、逆に日本が唐に攻め込まれるかという危機の時代でした。そんな中、隋・唐・百済などの影響を色濃く受け、仏教も伝来し寺院や仏像が造られ、漢文詩も入り和歌も盛んになって文化が花開いた時代だと思います。

    爺がまとめてくれているように、政治的にも中央集権律令国家が形成され、口分田制が導入され、農本主義が確立されます。農業が産業の中心で、かつ農民(長男)は転職や移動が出来ず(制限され)生まれた地で田んぼを耕す時代になります。

    これが代わるのは1000年以上もたった明治維新で、農民は農地から解放され移動が許されます。文明革命がおき、工業化社会を迎え、労働者が必要になり移動の自由が与えられます。この時代も、列強帝国主義国に日本は脅かされ、開国し、欧米文明がなだれ込み、政治・経済・社会が大きく変わったと考えています。

    こうした意味でも、天智・天武・持統天皇のいわゆる大化の改新の時代は、聖徳太子あたりからはじまり、日本が大きく変わった歴史的にきわめて重要なエッポクメイキングな時代だったと思っています。大化の改新と明治維新が時代の変わり目だと考えます。

    従い、百人一首がこの時代から始まったとも考えている次第です。

    • 百々爺 のコメント:

      私の場合歴史は司馬遼太郎と大河ドラマに影響されてましたので専ら戦国と幕末、この辺りばかりウロウロしていました。戦国と幕末、これさえ分かっておけば日本歴史はオーケーだなどと考えていました。

      その後古典(奥の細道→平家物語→徒然草→枕草子→源氏物語)を始め平安時代の400年の重さを認識しここ5年ほどは源氏物語=平安時代のことばかり考えていました。

      源氏に一区切りをつけやっと平安以前に思いを馳せるようになったのですが大化の改新~壬申の乱がかくも重要だとは全く思いもよりませんでした。壬申の乱が重要だとは常々聞いてはいたのですが何か血なまぐさい感じで敬遠していたというのが正直なところでしょうか。

      今回百人一首で天智まで遡る必要があり「天上の虹」(里中満智子)を読んで一気にこの時代の重要性に気づいたといったところです。

      八麻呂さんの歴史認識、誠に常道だと思います。山川の教科書を傍らにおいて事典がわりにして益々歴史の勉強を深めてください。
       →高校で使う資料ブック(「ビジュアルワイド 図説日本史」(東京書籍)など)もいいですよ。

  4. 浜寺八麻呂 のコメント:

    3)奈良・京都旅行記

    昨年は先にも書きましたが、桜の季節に奈良・明日香・長谷寺・室生寺・斎宮・伊勢に行きましたが、今年は、薬師寺・唐招提寺と京都に行きました。少し早いかと思っていた桜もほぼ満開で、桜を堪能できました。

    1)唐招提寺では、改め鑑真和尚が六回目の渡航でようやく来日したことや、またこのお寺では金堂が有名ですが、講堂は平城京から移築され、現存する唯一の平城京の建物だと知りました。
    薬師寺では、玄奘三蔵法師のインド行き、それを辿った平山郁夫画伯のシルクロードの旅と展示されている絵画にこころを打たれました。平山画伯は広島の原爆経験者で、地獄を見ておられ、仏教への帰依も深いものがあったから、こんな絵が描けたのだと、初めて見たわけでもないのに、妙に心を打たれ、長安や敦煌あたりに行きたくなりました。

    2)京都ではいろんなお寺を巡り、今回は抽選で当たった桂離宮と西芳寺(苔寺)にもいきました。桂離宮の庭と建物は初めて見ましたが、絶品でした。 
    苔寺では、初めて、般若心経の写経も経験しました。

    3)舞妓はレディーの舞台となった上七軒にも行って見たら、ちょうど桜の季節ということで北野をどりをやっていたので、その場で観覧券を買い、芸者・舞妓さんの春の踊りも見れました。
    勿論、北野天満宮にもお参りし、菅公
    東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
    このたびは幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに
    の歌もみてきました。

    3)この北野天満宮で発見、驚いたのが、お土居。タモリのNHK放送でやったブラタモで紹介され有名になった?お土居がなんと境内にあるでは。
    お土居は、秀吉が京都に築いた防塁兼堤防で内側が洛中、外側が洛外だそうです。
    小生が泊まった鷹が峰には、このお土居がいくつか残っているので、今回見物したのですが、北野天満宮にもあり、説明文を読むと鷹が峰から北野まで紙屋川が流れており、これに沿って築いたものでした(ちょっとローカル過ぎ恐縮です)。

    4)あと桜の名所は色々歩きましたが、今回初めて西ノ京にも行きました。
    西行が出家したという花の寺 勝持寺に行きました。西行が植え始めたという 西行桜がありました。

    辺鄙な山の中にあり、帰り道バス停まで30分ほど歩いていると大原野神社に出くわしました。源氏物語 行幸 に出てきた大原野でした。

    同行できなかった光源氏が
    小塩山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからん
    と詠んだ話です。

    長々書きましたが、古典を始めたお陰で奥行きも深まり楽しい旅行になりました。

    • 百々爺 のコメント:

      いい旅されましたね。歴史・古典に関連つけて実地検証的に旅行する。これぞ理想のリタイヤライフじゃないですか。

      私も5月連休の後に1週間ほど奈良・飛鳥を回ろうと計画してまして、旅行記(天武・持統陵、薬師寺、唐招提寺)参考にさせていただきます。

      勝持寺~大原野神社、そりゃあ中々行けないところでしょう。よかったですね。
       ご紹介の源氏の歌、源氏百首の一つです。そうでした、冷泉帝の大原野行幸、源氏は行かない。冷泉帝は来て欲しかった。その場面でしたね。

      また色々聞かせてください。

  5. 百合局 のコメント:

     一番歌と二番歌は親子の天皇歌で、季節は秋と立夏、唱和している感じにもみえます。次の三番歌の柿本人麻呂は持統女帝のおかかえ歌人的な存在だったようなので、この並び順に納得です。
     安東次男「百首通見」に面白い説があったので紹介します。
     定家は中院山荘からの季節の眺めにふさわしいものとしてこの歌を選び、山荘と目と鼻の先の小倉山を眺めながら「見立て」、大和霊山ならぬ小倉山の立夏もまた佳しと眺めているのでは・・そして小倉山を新歌枕と考え、小倉山の秋景を詠んだ歌も採った。
    二十六番歌「をぐらやま峯の紅葉こころあらばいまひとたびのみゆきまたなむ
     そうすると歴史の正統も歌枕のつながりもみえてくる、というのですがどう思われますか?

    • 百々爺 のコメント:

      安藤次男説ご紹介ありがとうございます。

      う~~ん、難しいですね。中院山荘から小倉山ではあまりに目と鼻過ぎて白い布が翻るのを優雅に眺め夏が来たのを実感するような感じではないかと思いますが。。

      飛鳥大極殿から天の香具山(高さ152m)までは1km、その間は平坦でよく見渡せる。中院山荘と小倉山は近接(小倉山の麓が中院山荘)、小倉山の高さは286m。見上げるようなところに白栲が翻っていることになりますね。

       →定家に聞いたら「マロはそんなつもりでは、、、」と言うのじゃないかと思うのですが、、。みなさんいかがでしょう。

  6. 小町姐 のコメント:

    大岡信の訳詞とても解りやすくて良いですね。
    2番歌
    春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
    いかにも女帝と呼ぶにふさわしい優美な表現の持統天皇のお歌。

    万葉歌原歌
    春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山

    百人一首の方は装飾的な表現ですがそこが女帝らしく格調高く私は好きです。
    声に出して詠んでみると調べも響きも良くて衣を干すと言う現実的な事にも関わらず流麗な感じがします。
    香具山を背景にした風景が目にみえるようです。

    万葉歌の方は素朴で庶民的な感じがして天皇の歌にしてはあまりにも現実的な表現のように思いましたがいかがでしょうか?

    歌の解釈は人それぞれ、思ったまま、感じたままでいいのでしょうね。

    • 百々爺 のコメント:

      歌の解釈、感じ方は人それぞれでいいと思いますよ。それを似たような四択を作って正解は一つだなどという国語教育こそ間違いでキーンさんじゃないですが日本人の古典音痴・古典嫌いを助長するようなことは止めて欲しいものです。

      万葉集原歌と言いますがそもそも原歌は漢字(万葉仮名)で

       春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山

      で「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」も後世(いつでしょうか)の訓読に過ぎません。これが絶対とは言えないでしょう。

       →万葉原歌の方が格段にいい、新古今は改悪だという一方的な言い方、おかしいんじゃないでしょうか。
       →でも受験生諸君はそう憶えないといけませんよ!

      • 在六少将 のコメント:

        いずれにしてもポイントは「てふ」で、いかにも技巧懲らしたものに変容してますね。藤原京に立てば香久山は目と鼻の先、いわば指呼の間にありますから、そこに一種の距離を置いて深みを出したとも言えます。

  7. 百合局 のコメント:

    二番持統天皇歌に、ほんの少し関連している謡曲は「葛城」の最後の方の「高天の原の岩戸の舞、天の香久山も向かひに見えたり、月白く雪白くいずれも白妙の景色なれども・・・」の部分でしょうか。
    この場合歌意は関係なく、香久山と白を使いたかっただけかも・・

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。
      そうか、この葛城は大和の葛城、高天原も大和の葛城なんですね。そこに大和の象徴として天の香具山が出てくる。そして白妙。完全に持統帝歌を意識していますね。

      葛城と言えば静岡のヤマハレゾートにある葛城ゴルフ倶楽部で先日ヤマハレデイスが行われ爺の応援する渡辺彩香が見事逆転優勝しました。
       →関係なくてすみません。葛城って色んなところにありますね。

      • 小町姐 のコメント:

        もう一つ静岡に葛城北の丸という素晴らしいホテルがありますよ。
        これも関係ないですね。
        葛城につられましたが奈良のほんまもんの葛城道、行ってみたいです。

  8. 文屋多寡秀 のコメント:

    出遅れ気味の多寡秀なれどここは一言ものしておきましょう。
    麻呂の手元にあるのは、息子たちが学齢期に使用したと思われる副読本だったのでしょう。擦り切れた 評解小倉百人一首<新版>三木孝信・中川浩文共著です。そこでの解説を紹介します。この歌の原歌
     「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」が
    写実的・客観的・感覚的・空間的であるのに対して、選者の定家の好みによって改作し「てふ」という言い方で原歌を伝聞の世界に置き、現実の事象とを重ねることで、観念的・理知的・時間的に処理して余剰のある一首を作り上げていると。
     そして「川柳」
      秋ぬれた衣を夏の山でほし
    を添えています。決して麻呂の作ではないですぞ!!

    • 百々爺 のコメント:

      決して出遅れてはおりませんよ。解説紹介ありがとうございます。

      写実的・客観的・感覚的・空間的 vs 観念的・理知的・時間的ですか。分かったような分からないような、、、。生徒にはさっぱり分からないでしょうね。

       江戸川柳(誹風柳多留)ですね。
        「夏来にけらし白妙のところてん
       というのもありました。

  9. 源智平朝臣 のコメント:

    小生も百々爺から借りた里中満智子の「天上の虹」23巻を読んで、すっかり持統天皇のファンになりました。Wikiを見ても「持統天皇が飾り物でない実質的で有能な統治者であったことは、諸学者の一致するところ」とあり、百々爺の言うとおり、彼女は正に日本史上最高の女性政治家であったと思います。

    私事ながら、今3歳の可愛い盛りの孫娘の名前は「さら」。持統天皇の鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)と知ってから、時には冗談で「さら」を「さららのひめみこ」などと呼んでいます。そうすると、ひょっとしたら将来「さら」は大物になるのではないかと思えたりするので、呼び名というのは不思議なものです。

    爺馬鹿話はさておき、「衣ほしたり」を「衣ほすてふ」に変えたのは改悪か否かに関して、「こんなに面白かった『百人一首』」(吉海直人)は、次の2つの解説を施していますので、ご参考まで。
    第1は、「衣ほすてふ」の方がオリジナルよりも語感が柔らかく、美しくなっていると、肯定的に評価する声は根強い。
    第2は、「衣ほすてふ」は伝聞形であり、オリジナルのように単に目の前の情景を詠んだだけでなく、その裏にある伝説をも想起させるつくりになっている。そのため、歌に奥行きを与え、新たな解釈や魅力を付け加えている。

    そして、香具山の伝説として、①天から地上に降ってきた、②天照大神が岩戸に隠れた地である(山中には今も天岩戸神社がある)、③甘橿明神という神が住んでいて、この神は神水にひたした白い衣を干すことによって、人間の嘘を見抜いた等を紹介しています。こうした伝説のため、大和三山の中でも、香具山は古くから特に神聖視されており、「天の」という尊称がつくのもその証と説明しています。

    • 百々爺 のコメント:

      1.持統天皇のことを考えるとジェンダー問題になってしまいますね。百人一首絵の持統天皇、服装はともかくやはり美人で麗しい女性、、、男の目でみるとどうしてもそうなってしまう。ところがやったことはすごい。女性にしてあそこまで冷徹にやるのかやれるのか、、、、なんて考えること自体が女性を別な目で見ていることにつながる。難しいものです。
       →でもいいものはいい。持統は偉大だと思います。
       
      2.お孫さん、いい名前じゃないですか。楽しみですね。
       (讃良のお母さんのお父さんは蘇我倉山田石川麻呂、、、、。)

      3.吉海直人の解説紹介ありがとうございます。「てふ」が伝聞形ということでハタとひらめきました。こんなのいかがでしょう。
       
        春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山

       と白妙の衣が干されているのを見て持統が詠んだ。

       初夏、定家も飛鳥を訪れ持統の歌を頭に浮かべつつ

        春過ぎて夏来にけらし「白妙の衣ほす」てふ天の香具山

       と詠んだ。即ちこれは持統の歌を踏まえた定家の歌である。

       、、、、とすると私が今度飛鳥に行って(初夏であるし)

        春過ぎて夏来にけらし「白妙の衣ほすてふ」てふ天の香具山

       伝聞の連鎖として詠むのもありかもしれません。

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