3番 歌聖人麿 、、、ひとりかも寝む

改めて「光琳かるた」のご紹介を。

「獺祭書屋 – 光琳かるた」http://dassai2.p2.weblife.me/p5/scrap0169.html

歌聖人麿、いかにも余裕ある恰好でそっくり返ってます。字は読めませんねぇ。

3.あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

訳詩:   山鳥は夜ともなれば 一羽一羽
      べつべつの峰に谷を隔てて眠るという
      そのしだれ尾を闇のなかへ長く垂れて―――
      ああそのようにこのひややかな秋の夜の
      長い長い時のまを 添うひともなく
      わたしはひっそり寝なくてはならないのか

作者:柿本人麿 (生没年未詳) 持統・文武朝(7世紀末~8世紀初)の宮廷歌人
出典:拾遺集 恋三778
詞書:「題しらず」

①この歌万葉集に原歌があるが詠者不詳とされておりそれが拾遺集に入れられて人麿作とされそこから百人一首に採られた。従ってこれは歴史上人物たる柿本人麿の作ではないと切って捨てる向きもある(吉海直人)。
 →まあそんな固いこと言わなくていいでしょう。歌聖人麿の作として考えましょうよ。

②柿本人麿 持統天皇の時代の宮廷御用達歌人 挽歌やら讃歌やら。
 →「天上の虹」でも人麿は持統天皇の側近として重用されている。
 →歌はまつりごとを進めるに重要な役割を果たした。

 取分け天武の直系皇統(天武―草壁―文武)を目指す持統の意に沿い「日継の歌」を謳い上げた。万葉集に長歌19首・短歌75首。古今集以下勅撰集に248首。

③柿本人麿の有名歌
 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(@近江京)
 東の野にかげろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(@宇陀安騎野)
  →軽皇子に同道天武を偲ぶ
 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ(@明石)
  →源氏物語明石の巻で何度も引用されている
  →やはりこの歌を百人一首に入れて欲しかった

 五七五七七の短歌形式を確立させた歌人という位置づけでいいのではなかろうか。

④さて「あしびきの~~」如何でしょう。
 正直歌聖として崇められるご仁の歌としてはいかがなものか、分かり易いだけが取り柄の歌かもしれません。まあでも歌聖だからこそこういう平凡な歌もいいのかもしれません。俳聖芭蕉にして「古池や蛙飛び込む水の音」ですもんね。

ひとりかも寝む
 91番にも出てきます。
  きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷きひとりかも寝む

 山鳥の雌雄は夜間谷を隔てて寝る習性があった(ホントかいなと思いますが)。
 このことは源氏物語でも引用されています。

 よろづに思ひ明かしたまふ。山鳥の心地ぞしたまうける。(夕霧28)
  →夕霧が塗籠で落葉の宮に迫るがはぐらかされてしまう場面

  昼はきて夜は別るる山鳥の影みるときぞ音はなかれける(新古今 読人しらず)

 もう一か所、匂宮が中の君と契り薫は大君と何もできず、問題のシーン(総角10)
 うちもまどろまず、いとどしき水の音にも目も覚めて、夜半の嵐に、山鳥の心地して明かしかねたまふ。

でもこの3番歌読めば読むほど持統帝が重用した歌聖による歌とは思われませんね。定家も罪なことしてくれたものです。

カテゴリー: 1~10番 パーマリンク

3番 歌聖人麿 、、、ひとりかも寝む への20件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    人麿、優れた和歌が多く300首以上もの歌があるのは歌聖と呼ぶにふさわしいと思います。
    しかしながら何故あえてこの歌が百人一首に採られたのでしょうね。
    素人目にももっと優れた歌が他にもあると言うのに。
    一番歌と言い詠者未祥の歌が採られるのは不思議で定家の意図が未だに読めません。
    まあこの辺、謎がいっぱいあるようですね。
    試験に出ればやはり作者は柿本人麻呂でないと×でしょうね。

    私が人麿で一番にあげたい大好きな和歌。
    近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ 

      あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
    この歌、一気に読ませるところがいいですね。
    「ながながし」がすべてに掛かっているところもおもしろいです。

    源氏物語にも結構出てくるのですね。
    こうやって挙げていただくと「ああそう言えばこんな場面あったなあ」と思いだされます。

    私も山鳥ですが心境は全く逆ですね。
    すべての自由が独占できます。
    まあ、夢の中ですから山鳥を味わう暇もないことは確かですが・・・

     

    • 百々爺 のコメント:

      1.柿本人麿は持統朝(及びその後持統が太上天皇として実質統治した期間)において持統を支え続けた宮廷御用達歌人であった。歌に権威を持たせるには歌人にカリスマ性を持たさねばならない。自ずと人麿は歌聖→神へと昇華された。歌の出来もさることながら人麿が詠んだということが大事だったのでしょう。
       →こういうことって世の常じゃないですか。名前は大事。人はブランドとか老舗とかに弱いものです。

      2.「近江の海」の歌いいですね。近江京については殆ど知らなかったので石山寺くらいしか行ったことありません。近江神社もあるし一度じっくり琵琶湖畔に行ってみたいです。

      3.この3番歌、枕詞あり序詞あり、リズムもいいし、「かも寝む」なんて詠嘆語調も使われている。高校の古文で歴史背景も含めじっくり教えて欲しいものです。

      4.そうですか、一人寝はいいですか。
         あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとり寝しがな
        ですね。

      • 小町姐 のコメント:

        そうですね。3番に人麿を持ってきたのはそう言うことでしょうね。

        数年前、14回に分けて琵琶湖東岸、野洲を北にスタートし湖北、湖西を周りスタート地点に戻りました。
        全長約240キロ、ウオーキングリーダーと歩きました。
        特に気に入ったのは湖北のひなびた風景や歴史伝説、葛籠尾崎や海津大崎から湖西に至る道です。
        リーダーの歴史語りを聞きながらの思い出深い一年でした。

        先ほどウオーキングの途中で川柳が浮かびました。
           山鳥は羽ばたき放し空の青 (すかいぶるー)

        • 百々爺 のコメント:

          そうでしたね、琵琶湖畔を一周されたとおっしゃってましたね。改めて地図を見ましたが、奥琵琶湖とか、文字通り琵琶湖に沿って一周なんですね。全長240KM、歴史語りをしながら。何にも勝る財産ですね。どうぞ貴重な体験を都度反芻してください。琵琶湖周航の歌を唄う度にあこがれています。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    柿本人”麻呂”より名を頂いた浜寺八麻呂ですが、いろんな本を見直してみると、なぞの多い人なんだとわかって来ました。
    田辺聖子さんの本でも神聖化されたと書かれており、明石に人”丸”神社があり(前回明石に行ったとき見逃しています)火止まる神さま、人産まる神さま、それに水難よけと目の神さまとのこと。加えて歌聖で歌の神さまと。恐れ多い名を頂いたなと思っています。
    ところで今頃気がついたのですが、田辺聖子の小倉百人一首では、柿本人”麿”と書かれていました。
    どれが正しいのか知りませんが、これだけでも不思議な人物です。

    足引きの歌そのもは、小生も百人一首に何故この歌が選ばれたのか今ひとつピント来ないところがありますが、流れとしては一気にすらりと読め、メロディーが作られてき、悪くはないと思います。
    かじっただけで解ってもいませんが、武蔵野自由大学で万葉集の講義を昨年採った際いくつか詠んだ柿本人麻呂の長歌も流れるようなリズム感とメロディーに成りそうな歌でした。当時、庶民の歌として口頭伝承されてきたようなことを先生は言っていましたが、そうかな思いました。

    さて、”百人一首今昔散歩”によると、山鳥が井の頭公園の自然文化園に何種もいるとのこと、何回もいっていますが見た記憶がはっきりとはないので、今度見てきます。

    • 百々爺 のコメント:

      人麿、人麻呂どっちでも同じでしょう。私は「百人一首」有吉保に従って人麿と書きましたが。

      人丸神社のご利益すごいですね。ホント何でもありですね。明石にあるから目を明かしてくれる→目の神さまなんて笑ってしまいます。でもそれでいいのでしょう、信ずる者は救われるです。

      考えてみると日本はちょっと偉い人はすぐ神さまになりますね。天神さまは勿論芭蕉も本居宣長も乃木大将も神さまです。考えてみればウチにもカミさまがおりました。。。

      和歌の五七五七七、この定型からくるリズム、声に出して読んだり聞いたりすると本当に心地いい。日本人の心の奥に響きます。

      井の頭公園に山鳥ですか、どうぞ見て来てください。

  3. 文屋多寡秀 のコメント:

    百々爺の筆、冴えに冴えておりますねえ。戦前の予想を覆し、絶好調のドラゴンズの活躍に、都の西北、もどい、東北・流山方面から、カンラカンラと高笑いが聞こえてきそうです。それに引き換え、難波津の虎・オリともに絶不調・・・。
     話題を変えて近江にしましょう。人麻呂も小町姐も近江ファンのようですね。

     近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ 

    さすが人麻呂さん 近江をこよなく愛しておられますねえ。
    近江高島に万葉歌碑が6か所あることは以前に触れましたが、そのうちの幾つかをご紹介しましょう。

     何処にか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出来る船
     何処にかわれは宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
     大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ

    しり取りゲームのような三首。いずれもこの地・湖西が陸路水路の要衝で、役人、罪人、商人も多く特に水路利用の風待ち港として勝野は重要だったという事でしょう。
    そして勝野は古来戦略上要害の地であり壬申の乱、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の主戦地になったとのことです。
     

    • 百々爺 のコメント:

      ホント何故か戦前の予想とは逆になってますね。虎もそうですが、カープもおかしいし、パではオリックスもホークスもねぇ。まあその内落ち着くでしょう。(先日はよくぞ津の後輩高木くんに完封白星をプレゼントしていただきました。ありがとさんです)

      近江高島にある万葉歌碑の紹介ありがとうございます。これだけ並ぶと重みがありますね。高島、勝野がいかに万葉時代重要だったのかがよく分かります。

      小町姐さんへの返信にも書きましたが琵琶湖畔、全く知らないので羨ましいです。お茶々・お江の故郷だし、芭蕉も近江をこよなく愛し(行春を近江の人とおしみけり)琵琶湖畔義仲寺に眠っているんですね。

      それと司馬遼太郎、「街道をゆく」を近江から始めている。その冒頭:

       「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。

       →44年前の文章ですが、今もさほど変わらないのでしょうね。

    • 源智平朝臣 のコメント:

      小生が社外取締役として5年間お世話になった百貨店「高島屋」の名前は元を辿れば近江国高島郡から来ています。江戸時代に高島郡出身の飯田儀兵衛が京都で米穀商「高島屋」を営んでいましたが、その長女の婿養子となった飯田新七が1831年に分家して呉服商を始め、その屋号も同じ「高島屋」としました。この呉服商「高島屋」が現在の百貨店「高島屋」の元祖です。

      • 小町姐 のコメント:

        近江商人の元祖でしょうか?
        そう言えば三井は伊勢商人の元祖でしたよね。
        どうも商売の元祖は西の方に偏っているようですね。

      • 百々爺 のコメント:

        そうですか。近江国高島郡からでしたか。そこの飯田さん、それで高島屋飯田→丸紅飯田→丸紅ですか。知りませんでした。「近江泥棒、伊勢乞食」なんてのは商売を知らない輩のやっかみでしょう。きっちり儲けてこそ商人ですもん。

  4. 百合局 のコメント:

    平家物語に取材した能『俊寛』(歌舞伎につながっていく)の中に百人一首歌ではありませんが、柿本人麻呂歌から採ったものがあります。
     「み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただに逢はぬかも」(拾遺集恋一、万葉集四)
     謡曲では「み熊野の浦の浜木綿一重なる」と使われています。

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。柿本人麻呂は宮廷お抱え歌人ですから行幸ある度に色んなところへ随行していったのでしょうね。熊野の浦、ここも歌枕なんですか。飛鳥、奈良から行くにはけっこう大変でしょうにね。

      俊寛に引用されてるのは鬼界ケ島の荒々しい海の様子を連想させるためですかね。

      • 百合局 のコメント:

        成経と康頼の二人が鬼界島に三熊野(熊野三所権現)を勧請し、帰洛のことを祈るため日々参詣する場面に使われています。浜木綿を神事用の造花に見立てています。

  5. 枇杷の実 のコメント:

    宮廷歌人は天皇行幸や宮廷行事の際に皇室讃歌や挽歌など、その場に適した歌を捧げるのが役目とか。
    人麻呂は第一人者の歌人だが毎日が多忙という事ではなかった。
    日没から12時間?いつまでも明けない秋の夜長を超すのは大変だ。気晴らしのテレビや雑誌、夜食もない?
    眼がさえて歌作りに没頭するが恋歌となると悶々として・・・
       眠れない お供はラジオ 深夜便

    • 百々爺 のコメント:

      宮廷の官人たち朝は夜明けとともに出勤だった由。従って起床は夜明け前、暗い中で朝ごはんだったのかもしれません。それにしても夜はやることもなかったでしょうね。

      やはり年を取ったせいかお酒なしの夜は寝つきも悪いし眠りも浅い。そんなときは録音したラジオを聞くか、俳句を考えるか。そうすると寝てしまいます。深夜便にはお世話になったことありません。

      川柳、ありがとうございます。

      江戸川柳より

        白妙の中へ山鳥おりる也
        (2番歌にも4番歌にも白妙が出てくる)

  6. 源智平朝臣 のコメント:

    柿本人麻呂は「歌の聖」と紀貫之に呼ばれただけあって、火災除けや安産の神様となったり、歌人たちの守り神となったり、いろいろな伝説を残したりと人気がありますね。田辺聖子さんや目崎徳衛教授の本に掲載されている伝説は「人麻呂の死後400年近くたった頃、藤原兼房という歌人が何とかしていい歌を詠みたいと心に人丸を念じていたら、夢に人丸が現れ『年来、この人丸を念じているそなたの志が深いによって、姿を現しましたぞ』と言った。兼房は目を覚ましてから、覚えている人丸の姿を絵師に話して描かせた。それを拝んだところ、歌が思うように作れた。」というものです。毎月末、ネット俳句会の締切りで苦しんでいる小生としては、芭蕉の肖像を入手して、拝んでみようかとも思いますが、果して効き目があるでしょうかねえ?

    ところで、「足引の山鳥の…」の歌は悪評嘖々ですが、百人一首に耳から(即ち、カルタ取りから)馴染んだ小生にとっては、耳に心地良くて悪くない歌だと思います。その理由は多分、「の」の音が続くために、八麻呂さんが指摘されるとおり、流れが良くて一気にすらりと読め、柔らかい響きのメロディーが作られるためでしょう。

    • 百々爺 のコメント:

      毎度きちんとコメントをつけていただきありがたい限りです。お得意の恋の歌、濡れ場シーン(そんなのないか)についてはもう少しお待ちください。小野小町、源融、在原業平、、、と続々登場しますので。

      柿本人麻呂を「歌の聖」と崇めたのは紀貫之、しかも平安王朝歌人のバイブルたる古今集仮名序においてですからね。一旦聖になってしまうとさまざまな伝説が生まれるということなんでしょうね。

       古今集仮名序 人麻呂の部分

        かの御時に、正三位柿本人麿なむ、歌の聖なりける。 これは、君も人も身をあはせたりといふなるべし。秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば、帝の御目に錦と見たまひ、春のあした吉野の山のさくらは、人麿が心には雲かとのみなむおぼえける

      そうですね、是非芭蕉に拝んでみてください。もしご利益ありそうなら私は一茶に頼みますのでこっそりででも教えてください。

      「あしびきの」、、確かにリズム・メロディーはいいですね。覚えやすい。最初に覚えにくい歌を集めるとみなさん苦労するだろうから覚えやすい歌を集めておこうか、、、、定家の教育的配慮かもしれません。

      • 小町姐 のコメント:

        昨日 岩波文庫の古今和歌集読み終え今日、伊勢物語を借りてきました。
        例の難波津、安積山、古今集の仮名序にありました。
        紀貫之もすごい人ですね。
        古今和歌集は初めて読みましたがあの仮名序の冒頭は印象に残り日本人の心に響くものがありますね。
        印象に残る文章でした。

        図書館の蔵書なのにすごい書き込みがあって驚きました。

        • 百々爺 のコメント:

          古今集、仮名序短いけどインパクトありますよね。紀貫之も相当力を入れて書いたのだと思います。

          図書館の岩波文庫に書き込みですか。そんなスペースもないのにねぇ。公共の物を汚して、、。この種の愉快犯には罪の意識がないので始末に終えないですね。奈良のお寺の事例も全国に広まってるし、困ったものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です