何でも書き込み帖 (3) チンパンジーの教え

どっぷり育爺業に浸かっています。なかなか面白いものです。きりがありません。その分百人一首から遠ざかっています。せめてもと過去20回分も読み返し21番から少しづつメモ取り作業をしていますがまとまった時間が持てないので投稿原稿にまではまとめきれません。まあ仕方ないですね。
 →週1~2回のテニスはやってますがゴルフはお預け、朝の散歩もままならない。家族が変わると生活リズムも変るものです。

折しもNHK文化講演会で霊長類学者松沢哲郎教授(アイ・プロジェクトで有名)の話を聞きました。子育てから見る人間とチンパンジーの違い、なかなか興味深かったです。備忘録としてメモリましたので一つの話題としてご紹介します。

「想像するちから:チンパンジーが教えてくれた人間の心」
・サルは北米・ヨーロッパには住んでいない。元来熱帯地方のものでニホンザルは特殊。
・霊長類とはサル類のことでヒトもその内の一つ。

・「ヒト科は四属」オランウータン・ゴリラ・チンパンジー・ヒト。
 →ヒト科とは「尻尾がない大型のサル」のことである。
・ヒト科四属は1200万年前まで共通の祖先、そこから分れていった。
 →ゴリラとチンパンジーよりチンパンジーとヒトの方が近い。

・チンパンジーは石器(道具)を使う。固い実を割って取り出して食べる。
 子は親を見てまねるがなかなかできない。4~5才でやっと割れるようになる。
 親は教えない、正しく割って見せるだけ。

 チンパンジーの教えない教育:
  ①手本を示すだけ ②子どもはまねる ③親は寛容(怒らないイライラしない)
  →子どもは自力で何とかしようとする。親と同じことができる。これが喜びになる。

・人間にとっての教育とは(チンパンジーにできない人間固有の教育)
  手を添える、ほめる、うなづく、微笑む、認める、見守る

・人間の赤ちゃんの特徴は出生直後から母親と離れて仰向けに寝ること。
 仰向けに寝てるから手は自由に動かせる。手の器用さは人間の特長。

 チンパンジーは生後3カ月四六時中母親にしがみついている。
 →母親とコミュニケーション取る必要がない。くっついてるから飲乳も自由。

 人間の赤ちゃんは母親に意思を訴えねばならない。
 →新生児微笑で人の注目を引き、夜泣きして母親を呼ぶ。
 →声を出しての訴えが言葉につながっていく。

・チンパンジーも仲間社会(父系社会)だが子育ては母親だけのもの。子が育つまで5~6年かかるのでそれまで次の子を産めない。
 →チンパンジー(寿命約50年)は40才まで子を産むが間隔を空けねばならない。  

 人間の子育ては母親だけでなく父親もお祖母さんもそしてちょっとお祖父さんもやる。
 →取分け祖母の子育て参与が大きい。人間の発明である。
 だからこそ人間は上の子がまだ母親の手を離れないのに次の子(年子でも)を産むことができる。  

・チンパンジーは今そこにあるものの認識はできるがそこにないものを想像することはできない。 赤い色を見て「赤」「RED」のカードを指すことはできるが「赤」「RED」のカードを見て赤色を指すことはできない。
   
 チンパンジーには想像する力がない。あるのは今だけ。従って明日のことでクヨクヨしたりしない。絶望しない。人間は想像するので簡単に絶望してしまう。でも逆に希望を持つこともできる。

新生児・2才児を観察するヒントになると思った次第です。

カテゴリー: 番外 パーマリンク

何でも書き込み帖 (3) チンパンジーの教え への11件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    休暇をいいことに私も百人一首から遠のいています。
    この機会に他の本を読んだりしています。
    人間、切羽詰まらないとなかなか物ごとに取り組めませんね。

    楽しみながらの育爺業も7人目となれば相当板についてきたことでしょう。
    当事者本人と違い余裕で観察できるのも爺婆の特徴ですね。

    霊長類の中でも限りなくヒトに近いチンパンジー。
    十二支の中の9番目の「申」はどの種類のサルを指すのでしょうね。
    来年の干支は申、申年生まれの小町姐は6回目の年女と言う事になります。
    ああ!!恐ろしや・・・
    俄かにサルのことが気になりだしました。
    実家に毎日出没しているサルは何者でしょうね。野性猿?そんな種類あるのかしら?
    彼達は相当頭脳に長けているようですよ。
    申年女がサルに負けそうでは話になりません。
    でもサルには百人一首はできないでしょう。ちょっと優越感です。

    • 百々爺 のコメント:

      来年が申年ですか。私どもの学年は来年古稀を迎えます(私は早生まれなので再来年ですが)。還暦で生まれ変わったと思えばまだ10才、今からですよ。

      霊長類から人間を考える。こういうのをアウトグループというらしいです。人間から見ればチンパンジーはアウトだがチンパンジーから見れば人間がアウト。外から見ることで内の本質が分かるという発想とのこと。日本を見るには外国から、今を見るには過去から、他人の振り見て我が振り直せ、、、ということでしょうか。

       →源氏や百人一首から少し距離おいて違う分野の本を読むのもいいでしょうね。ついつい戻ってしまうのが常ですが。

  2. 松風有情 のコメント:

    アレレッ!
    昔はまったテーマでしたか、、

    700万年前にアフリカで類人猿からヒト科のホモサピエンスが誕生し200万年前にホモリバリスから原人が拡がりアジアにまで。ジャワ原人や北京原人が50万年前頃に出没するも滅亡。
    ネアンデルタール人を含む旧人時代を200万年間経て六万年前頃から新人類が世界中へ拡散したとか。

    類人猿比較では、その集団化サイズ&出産期間に違いあり
    人科は 150人 10カ月
    チンパンジー 65匹 5年
    ゴリラ 35匹 4年
    オランウータン 15匹 8年
    だそうです。
    それ以上のサイズになれば、次なる集団形成になるとか。
    農耕文明は約1万年前から始まり、その後、四大文明発祥をみる。

    川柳は
    ワレワレハ ウチュウジンダゼ
    神代から

    すみません。
    川柳は扇風機を使ってお願いします。

    • 百々爺 のコメント:

      そうでしたね。地球誕生から新人類の出現、現代に至るまでを1ページにまとめた資料もらいましたっけ。こうなると歴史も壮大ですね。

      集団化サイズの比較面白いですね。オランウータン→ゴリラ→チンパンジー→ヒトと、高等になるほど多くの個体が集団化して暮らすことができるということですね。人は150人ですか、なるほど、その辺が動物としてのヒトの限界なんでしょう。それが何万人あるいは何百万人として集団生活ができるというのはヒトを超えた人間社会であるからなんでしょう。

  3. 小町姐 のコメント:

    【余談8】
    今日は映画あれこれの話題を少々?書きたいと思います。
    田舎のどん詰まりの集落に育った私の少女時代の娯楽と言えばたまに観る映画ぐらい。
    それも校庭に張られた白い垂れ幕の野外映画、もしくは芝居小屋で見る東映時代劇。
    大きくなったらいっぱい映画を見るぞ!!と誓ったものである。
    それが叶いここ数年は年間多い時は100本ぐらい観る映画キチになってしまった。
    今週も一週間(3日間)に6本の映画を見た。
    ちなみに題名だけでも紹介しておきましょう。
    1) ライアンの娘(1970年日本公開)
    2) 愛を積むひと
    3) ゆずり葉の頃
    4) ターナー、光に愛を求めて
    5) コクーン歌舞伎「三人吉三」(シネマ歌舞伎)
    6) 海街ダイアリー
    劇場は二館で一館は所謂、小劇場でこだわりの映画、建物は古くて狭いがシートは心地よい、ただ前との感覚が狭すぎる。上映前にきちんとスタッフが挨拶するのが気に入っている。スタッフの知識も半端ではない。ここしか観られない映画で質がよく観た後の失望感は割と少ない。
    観客も本当の映画好きが多いように思う。たまに満席で出なおすこともある。
    もう一館はシネコンスタイル。ここは掛け持ちできるのが良い。
    時間の無駄を省くためあらかじめ上映時間をチェックする。比較的新しい映画館なので快適な空間である。
    他にも二つの映画館をたまに利用する。場末のような雰囲気の映画館は我が家から最寄りで便利ではある。
    もう一つは昔よく通った名画劇場で名前もそのままに場所を移動した。
    この4館を使い分けている次第であるが映画の満足度は平均すると50%前後で観なければ良かったと後悔するのもある。
    事前に情報を得るものの外れも結構多いのである。映画終了後の観客の反応も観察する。
    この前「おかあさんの木」という映画で一番前の老人客が終了後拍手喝采をした。
    後にも先にも一度だけ私も我を忘れて拍手した経験があるから気持ちはわかる。
    隣ですすり泣く人、笑い転げる人、悲鳴をあげる人、観客の反応も様々で面白い。
    エンドロール中に席を立つ人には腹が立つ・・・
    背をかがめて立つならまだしも堂々と人の前を遮る。これってマナー違反だと思う。
    映画の話をするときりがないのでこの辺で置くことにする。
    本当に感動する映画にであった時の幸福感、これがあるから映画が止められないのです。

    • 百々爺 のコメント:

      なかなか返信ができず申し訳ありません。今大人5人子ども5人の10人ファミリーです。毎朝毎夕戦争状態です。弾を撃ったり当たったり、休む暇がありません。

      新作・名作を取り混ぜて年間100本はすごいですね。頭の中混乱しませんか。きっと整理のコツを体得されてるのでしょうね。

      どうも劇場まで行って観るのが億劫で回数は多くありませんが暗がりで大画面で観るのは迫力あり感動しますよね。お気持ちよく分かります。私ももう少し頻度あげようかな。。
       →この頃涙腺が緩み気味で涙の出そうな作品は敬遠しています。

      映画に直接関係ないですが「わたしの渡世日記」上下(高峰秀子・文春文庫)読まれましたか。数ある高峰秀子エッセイの原点ですが彼女の波乱万丈の人生もさることながら昭和の映画史としても面白いですよ。

  4. 小町姐 のコメント:

    【余談9】
    今夜は最高 ブラボー!! 妙音にどっぷり、いまだ余韻に浸っております。
    気を静めるためPCに向かい遠い記憶の彼方を彷徨いつつ・・・

    幼児の頃ラジオで子供向けの童謡を中心とした歌番組が大好きで歌手になったつもりで一緒に歌い踊っていた記憶がある。
    そして小学校の頃は「音楽の泉」という日曜朝の番組を聞くようになった。
    この番組はシューベルト「楽興の時」のテーマ曲で始まり今も続いている長寿番組というから驚きである。
    偶然にもこの曲を学芸会で演奏することになり木琴を担当することになった。
    ♪♪ミレ ドレドシ ドレミ ドレミ?♪♪ 冒頭は今でも口ずさめる。
    初めてのクラシック音楽との出あいはシューベルト様である。
    今もシューベルトの歌曲では特に「鱒」と「菩提樹」が好き。
    そして中学の時、素晴らしい音楽教師と巡り会いピアノを教えてもらうようになったがあえなく挫折、その後もギター教室に通ったがやはり楽器の才能はゼロに等しかった。
    同級生がお兄さんと一緒に辻久子のバイオリンを聴きに行ったと言うのが羨ましかった。
    それ以来、将来いつでも好きなコンサートに行けることを願った。
    そして都会に出てチャンスは巡ってきた、にもかかわらず経済的、時間的制約でいつでもOKとはいかなくなった。
    今、やっといつでも行ける境涯になれた。
    ずいぶん前置きが長くなったが野性の少女がこの日を迎えるまでに半世紀以上の歳月が経ったことに驚く。今行かなくていつ行く?
    「マエストロ」という映画が奏でたベートーベンの「交響曲第5番運命」が私の心に火を点けた。矢も盾もたまらなく「運命」をフルオーケストラで聴きたくなった。
    幸いにも見つかったのが今夜のプラハ放送交響楽団である。
    プログラムは「運命」 スメタナ「モルダウ」 ドヴォルザーク「イギリス」
    ボヘミア色濃厚な選曲である。
    今夜の席は指揮者とまともに体面、これが幸いした。
    いつも背中しか見られない指揮者の表情、身振り手振りをじっくり観察できて楽しく素晴らしい夜であった。   
    再びクラシックの灯が私の胸中に点った一瞬。
    これからはお金と時間を惜しまずどんどん行こう。
    音楽も映画も絵も文学も旅も自然も欲張りに満喫したい。
    naoさんのような専門的見地から海外まで遠征するには遥か遠く単なるクラシック愛好家としてこれからも耳に心地よい音の世界に身を置きたい。
    ただ残念なことは5年前、突発性難聴で左耳の聴力を失ったのが口惜しい。
    晩年難聴に苦しんだベートーベンに思いを馳せ「運命」を聴いた。
    紫式部も偉大ですが聴衆を感動のるつぼに引き込み心を鷲掴みにするベートーベンもすごい。
    思えば私にとって幼いころから思春期にかけての田舎暮らしはとてもラッキーな環境であったと思う。
    恵まれない文化的環境が逆に良い影響を与えてくれたように感じる。
    逆に恵まれ過ぎるほどの自然環境がそれと相乗効果を成して今の私のアイディンティテイを形成していると言えなくもない。
    今も全身共鳴音が鳴り響いて止まない。言葉は要らない。
    ただただ高揚感に満たされている私・・・

    • 百々爺 のコメント:

      素晴らしい演奏だったようですね。小町姐さんの興奮の様子がよく伝わってきます。紫式部かベートーベンかの「偉人合」。いいですね。きっと二人とも相手にとって不足なしと歓迎じゃないでしょうか。

      「音楽の泉」堀内敬三でしたね。そして「音楽夢くらべ」の高木東六。高尚な番組でした。そう言えばnaoちゃんの「音の記憶」もう十年以上も前になりますかね。私もシバ爺のエッセイ書いたものでした。。

      余談の続編楽しみにしています。何なりご披露ください。。

      • 小町姐 のコメント:

        ありがとうございます。
        全くのプライベートな余興を好意的に受け止めて下さって感謝です。
        どうか返信にお気づかいなく読み流していただければ幸いです。

        10人家族、昔の大家族を想像しますね。
        5~6人兄弟が当たり前だった頃、両親にお爺さん、お婆さんは珍しくない光景でした。
        三度の賄いに孫の世話、洗濯、掃除と奥さまは目の回る忙しさでしょう。
        ここ最近のお天気模様が気がかりですね。
        子どもが多いと言う事は一日に何度も洗濯機を回さねばなりません。
        どうか晴れますように・・・

  5. 小町姐 のコメント:

    【余談10】
    余談3連チャンです。
    先般初めて文楽の鑑賞後次なるは能舞台を、と考えていた。
    今年は徳川家康公没後四百年記念と言うことで名古屋能楽堂では家康ゆかりの能が演じられている。
    今月は狂言「梟山伏」和泉流 能「清経」観世流、いずれも家康が駿府大御所時代の10年間に観た演目だそうです。
    市民能楽セミナーと称して30分間「清経」の解説があったのは初心者に有難い。
    名古屋能楽堂は平成9年に名古屋城正面に新築され国内で一番規模が大きいそうです。
    総桧造りの屋根付き正面の鏡板は今年は若松、来年は老松と一年交代で変わるそうです。展示室に掲げられている老松を観ましたがてやはり伝統から言えば老松に分があるように思いました。
    新築時、杉本健吉画伯が描いた若松の鏡板が物議をかもし伝統を重んじる能舞台はやはり老松と言うことで一年交代になった由。
    平清盛の嫡男重盛の三男、清経が霊となって平家一門の末路を悲観して自らの命を絶ったいきさつを妻に連綿と語る
    没落していく平家の悲劇が美しく描かれて物語としては良かったのですがどうもあのスローテンポについていけません。
    イヤホンガイドを借りたのですが能面や小面から発する言葉がわかりにくい。
    ただ小鼓 大鼓 笛方は美しく力強くていいなと思ったものの囃方の地謡は全く理解できなかった。
    敢えて又観たいとは思えなかったのは残念である。
    どうも相性がよくないのかな~・・・

    • 百々爺 のコメント:

      書き込み、ありがとうございます。

      そうですか、家康公没後400年ですか。逆に言うと江戸時代が始まってからまだ400年ちょっとしか経ってないのですね。自分が生きて来た年数を考えるとそんな遠くない昔じゃないかという気がします。

      能を見られての正直な感想ありがとうございます。私は能は地元の文化会館でと川べりでの薪能だけで本格的能楽堂で見た事ありません。歌舞伎や文楽に比べ難しそうですね。謡曲のセリフを勉強して行かなくてはダメなんでしょうか。ここは百合局さんのコメントをいただきたいところです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です