33番 風もないのに散る桜、友則会心の一作

誰もが知っている有名歌、紀友則の登場です。ゆっくりと口遊むと何となくゆったりしたいい気分になります。「ひさ」と聞いただけで札を払う競技カルタには似合わない歌であります。

33.久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

訳詩:    ひさかたの天にあふれる日のひかり
       春の日はゆったりとすぎ 暮れるともない
       こののどかな日を ただひとり
       花だけがあわただしく散る
       なぜそのように 花よ おまえばかりが、、、

作者:紀友則 生年未詳~905? 貫之の従兄弟 大内記 古今集撰者の一人
出典:古今集 春下84
詞書:「桜の花の散るをよめる」

①父 紀有朋(下流貴族) 
 紀氏は紀州に本拠を持つ古代豪族、武内宿禰の子孫
 紀名虎が文徳朝(840年代)で娘を後宮に入れ実権を得ようとしたが失敗、その後紀氏は政治的には落ちこぼれていく。

 18番歌藤原敏行の母の父が紀名虎、紀氏つながりということで友則は先輩歌人藤原敏行と親交があった(18番歌の項参照)

 紀貫之(父紀望行)とは従兄弟。友則の方が20才くらい年長。

 友則自身は平凡な下級官人で出世が遅く40才過ぎても無官であった。
  時平がいぶかしがって友則に問うた歌 後撰集
  今までになどかは花の咲かずしてよそとせあまり年きりはする
 友則の返歌
  はるばるの数は忘れずありながら花咲かぬ木をなにに植ゑけむ
  →よほど世渡りが下手だったのか。40才までどうして食っていたのだろう。

 時平に目をかけられたのかその後、任につき904年に六位大内記(公的文書担当役人)まで昇る。そして古今集編纂者の一人にノミネートされる!
  →やった、ついにオレにも春が来た、、、と思ったことだろう。

②古今集編纂について(29番歌の項参照)
 古今集編纂の勅令が出たのは905年4月18日(仮名序)
 この時友則は大内記であった。古今集が編纂されたのは宮中のど真ん中承香殿の東、内の御書所。年上の友則がリーダーシップをとってたのではなかろうか。
 →今まで卑官の身で内裏に上がるなどとんでもなかった友則、どんなにか晴れがましい気分であったことだろう。

 ところが友則は編纂作業途中にして醍醐帝への奏覧(完成報告)前に病を得て(でしょう)亡くなってしまう。
 →友則の悔しさいかばかりであったろう!

 同僚であり先輩である友則が仕事中現役で死んだ、残された3人は悲しみにくれる。
  紀友則が身まかりける時よめる 古今集 哀傷
  あす知らぬ我が身と思へど暮れぬまのけふは人こそかなしかりけれ 貫之
  時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを 壬生忠岑

 残念だったろうが古今集編纂の栄誉を担い得た友則は幸せだったのではないか。

③歌人紀友則、古今集に45首、勅撰集に64首 寛平歌壇の重鎮であった。三十六歌仙
 紀友則の有名歌より
  君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる 古今集
  秋風にはつかりがねぞきこゆなるたが玉づさをかけて来つらむ 古今集
  春霞たなびく山の桜花みれどもあかぬ君にもあるかな 古今集

  夕されば佐保の川原の川霧に友まどはせる千鳥鳴くなり 拾遺集 公任絶賛

 春霞かすみていにしかりがねは今ぞなくなる秋ぎりのうへに 古今集
  宮中歌合せ初雁お題で「春霞」と詠いだしたので雁は秋なのにと失笑するものあった。すると続けて見事に秋の歌に仕立てたので失笑したものはバツが悪かった。。。
  →大したエピソードとは思えないが、下官ながら歌才に長けた友則を象徴する話として伝わっているのだろうか。

④33番歌 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

 百人一首中最も有名な歌の一つであろう(仁王どのによると好きな歌ランキング第5位)
 この歌は「古今集」の心ともいうようなところがある(田辺)。
 →それだけに万葉崇拝者からは目の敵にされた。

 定家以前は左程有名ではなかったが定家が再評価し拾い上げたお蔭で超有名歌となった。

 ・しづ心なく花の散るらむ
  春、咲く桜、のどかな日、風もないのに、散る桜
  →WHY? 何故散るの? と自問自答する。
  →散る桜に何を思うか。生死無常の観念か、散り際の潔さか。
  →古今集以降、桜は日本人の一番好きな花である。

 定家の本歌取り歌
  いかにしてしづ心なく散る花ののどけき春の色と見ゆらん

 因みに百人一首に桜が詠まれているのは6首
  9花の色は 33久方の 61いにしへの 
  66もろともに 73高砂の 96花さそふ

⑤源氏物語との繋がり
 桜は源氏物語にはなくてはならない花。
 源氏が一番愛した紫の上を象徴する花であり春の町を代表する樹木であった。

 久方の 光のどけき 春の日に
 →これこそ「光の君」を詠んだ歌ではないか。

 桜が登場する重要場面を一つ(花宴の朧月夜は23番歌で取り上げたのでそれ以外で)
 若菜下36.六条院春の町での蹴鞠遊び(三月ばかりの空うららかなる日

  督の君つづきて、「花乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつまづま透影など、春の手向の幣袋にやとおぼゆ

   →そしてこの後、唐猫が走り出てきて御簾を引き上げ柏木は女三の宮を見てしまうのであります。。

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33番 風もないのに散る桜、友則会心の一作 への21件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

       久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
    この歌はほとんどの人が諳んじられる歌でしょうね。
    又この歌が嫌いだと言う人も先ずいないのではないでしょうか?
    万人に好かれる歌の代表と言っても過言ではないと思います。

    音もなく落花する桜を「しずこころなく」と詠んだ所も素晴らしいです。
    桜と言えば「散る桜残る桜も散る桜」を思い出します。
    この光のどけきにはそんな儚さは感じられないのですがやはり人生や運命、季の移ろいを読みとるべきでしょうか?
    私など能天気ゆえ、春ののびやかな心で桜に語りかけているように感じられるのですが・・・

    時平に目をかけられ六位大内記まで何とか出世し古今集編纂の栄誉を得たにも関わらずその完成を見ずに亡くなったのはさぞや無念の思いだったことでしょう。
    しかし後世、百人一首に選ばれこれほどまでに愛唱されていることを紀友則が知ればどんなに喜んだことでしょう。友則さん、良かったですね。

    私は公任も絶賛したと言う
        夕されば佐保の川原の川霧に友まどはせる千鳥鳴くなり 
    いいな~と思います。

    源氏物語では桜襲(さくらがさね)の衣装が何度も出てきましたがとても美しい桜のイメージを想像させて好きな言葉のひとつです。

    • 百々爺 のコメント:

      ・「散る桜残る桜も散る桜」まさしくそうですねぇ。桜は日本人の心の原点だと思います。現代では桜は全国津々浦々植えられ満開の季節になると日本列島桜一色、花見は一種の国民生活現象ですよね。

      散り際の潔さから武士道や軍国主義の象徴になったりもしましたが、今では穏やかな日本を表す花で定着していると思います。
       →ラグビー日本のユニフォームも桜マークでしたね。

      ・この歌定家以前はあまり取り上げられていなかったとのこと。改めて定家の卓見に思い入ります。

      ・紫の上は春の草木、取分け桜をこよなく愛する人でした。桜も開花の時期の異なるものを取り揃えたり。そして死にあたり遺愛の桜を愛する孫匂宮に託す。。名場面でした。

        外の花は、一重散りて、八重咲く花桜盛りを過ぎて、樺桜は開け、藤はおくれて色づきなどこそはすめるを、そのおそくとき花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおきたまひしかば、時を忘れずにほひ満ちたるに、、(幻5)

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    小生もこの歌が好きで、現状ランキング BEST1、33番歌ゆえまだ百人一首全体の1/3までしか来ていませんが、間違いなくBEST3(恐らくBEST1)に入ると思っています。

    田辺聖子さんが、この歌を”春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)”と評し、なだらかなしらべは人間の造ったものとも思えないと絶賛されておられるが、正に春ののどけさが伝わり、のんびり庭を眺めながら散り行く桜に一献傾けたくなる風景である。また、この歌の核心は”しづこころなく”にあるとも言われているが、静かに満開に咲く花が、風もないのに、静かなところもなく散り急ぐ、なんとものんびりとした中に一面音もなく、降りいく雪がごとく、音もなく散っていく桜の、美しさと切なさが漂う歌である。
    小生には、王朝文化の”あはれ”の象徴のような歌と思える。

    22番歌でも書いたが、この歌と、古今和歌集巻4 秋歌上の

    秋来ぬと目にはさやかにみえねども 風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行

    の歌が、好きである(爺の解説でも、紀友則と親交があったと)。

    • 百々爺 のコメント:

      おっ、いいですね。33番歌に惚れ込んでおられるようですね。友則もしてやったりとほくそ笑んでることでしょう。確かに八麻呂さんの言われるように読むと王朝文化の「あはれ」の象徴のような感じがします。子規の辛辣コメントもこの歌には言及していませんね。まあ三文五文ほどの値打ちはあると思ってたのでしょうか(実際に評価を聞いてみたいものですね)。

      風もないのに散る桜、微かな風に感じる秋の気配。日本人の季節への敏感性は誠に繊細なものであります。

  3. 文屋多寡秀 のコメント:

    以下は友則はんの独白です。

    私は花の咲かない木でした。
    四十歳を過ぎても何の官職にも就いておらず、大納言の時平さまに驚かれたことがあります。。かつて名門だった紀家ですが、藤原家に勢いを取って変わられてからは大人しいもの。特に私は春になるたび任官を期待し、裏切られるという、何度春になっても花を咲かせることのない木のようでした。
     花のない地味な木が僅かに輝く場は、歌合わせでした。あるとき「初雁」という題で歌を読むことがありました。初雁とは秋に戻ってくる雁のことです。私の歌が読み上げられた時、相手のチームから大爆笑が起きました。「はるがすみ」と歌が始まったからです。笑い声はピタリとやみました。

     春霞かすみていにし雁がねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に

    私の歌のレトリックに、敵方は見事にはまってくれました。春から秋までの時間の流れを一首に詠み込んだのです。この時ばかりはいつもの暗い思いも吹き飛び、爽快だったことを今でも覚えています。
     出世に恵まれない不遇な私。また待っていた辞令も届かずに春が過ぎようとしています。私は庭で、満開をやや過ぎ、花を惜しげもなく散らす桜の木を眺めながらこんな歌を詠みました。

     ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ

    歌の功績もあり、その後やっと官職に恵まれるようになりました。そして「古今和歌集」の撰者にも選ばれました。やっと花が咲いた!それなのに・・・。私は「古今和歌集」の完成を待たずして亡くなりました。しずこころなく散っていったのは、桜ではなく、ほかならぬ、私だったのかも知れません。(天野慶著:百人一首百うたがたり)より。

     編纂作業途中にして、亡くなってしまったのは、大変悔しかったでしょうが、古今集編纂の栄誉を担い得た友則はんは、多いに幸せだったのでしょうね。
    後世百人一首に選ばれ、これほどまでに愛唱されれば、友則はんも本望でしょう。

    • 百々爺 のコメント:

      当時貴族の就職口は中央官吏と地方の受領だったのでしょうがポストの数は限られていた。一度レールを外れてしまうと途中でポストを得ることは至難のわざだった。春秋の異動(司召・除目)の悲喜交々は源氏物語にも枕草子にも詳しく語られているところ。当人は勿論家族や関係者一同固唾をのんで吉報を待ったのでしょう。でも友則はんの場合来る春来る春「サクラチル」の報ばかり。妻や子どもたちにもバツの悪い思いをしていたのでしょう。
       →いつの世にも世渡り・処世術はある程度必要であろう。

      「しずこころなく散っていったのは、桜ではなく、ほかならぬ、私だったのかも」
       →それは悲し過ぎるのではないでしょうか。私は友則はんはそんな目にあってもいつも心静かに過ごし心静かに亡くなったのだと思いますが。。

  4. 百合局 のコメント:

     源氏物語つながりの桜の場面をもう一つあげてみます。
     「竹河」の巻、(小学館版、竹河9)に、玉鬘の二人の姫が庭の桜の所有権をめぐって碁の勝負をし、それを垣間見しているという場面がありました。平安時代の人の花(桜)への対し方、親密さがでていましたね。

     謡曲『志賀』にある「のどけき風のおとは山、今朝越え来ればこれぞこの名に負ふ志賀の山越えや」は、古今集、夏142紀友則の「音羽山今朝越え来れば時鳥こずゑはるかに今ぞ鳴くなる」をとりいれています。 

    • 百々爺 のコメント:

      1.源氏物語つながりの桜の場面、ありがとございます。
       国宝源氏物語絵巻「竹河二」の場面ですね。花盛りの桜の木が大きく中央に描かれています。のどかな王朝絵巻の一コマですね。
       →匂宮三帖は殆ど頭に入ってません。苦手だとダメですね。

      2.おつ、奇しくも32番歌の志賀越えが出て来ますね。音羽山も京から大津へのハイキングコースの一つのようですね。

      • 小町姐 のコメント:

        そう言えば姫君たちの花の争いの場面思い出しました。
        君たちは花の争ひをしつつ明かし暮らしたまふに、風荒らかに吹き たる夕つかた・・・
          桜ゆゑ風に心のさわぐかな思ひぐまなき花と見る見る 
          
          大君
          風に散ることは世のつね枝ながらうつろふ花をただにしも見じ    中の君
        国宝源氏物語絵巻「竹河二」には桜の木が描かれているのですか?楽しみです。
        今秋徳川美術館では(11月14日(土)~12月6日(日)開館80周年記念特別展として国宝 源氏物語絵巻が全点一挙公開 されます。
        皆さまお見逃しなきようお知らせいたします。

        • 百々爺 のコメント:

          「竹河二」は徳川美術館でしたね。
          特別展ご連絡ありがとうございます。豪華でしょうね。是非見てみたいです。10年前は五島美術館からも出展されたようですが今回は徳川美術館だけなんでしょうか。まあそれでも十分だと思いますが。。

          • 小町姐 のコメント:

            徳川美術感に問い合わせました。
            五島美術館所蔵もお借りして全点公開されるとの事です。

            • 百々爺 のコメント:

              ありがとうございます。それは壮観ですね。さすが尾張のお殿様です。

  5. 源智平朝臣 のコメント:

    紀友則は40歳過ぎるまでニート(無業者)でしたが、腐らずめげず、けれんみのない歌を詠み続けました。想像するに、おとなしい性格だけど、名門生まれらしく育ちが良くて嫌味のない人柄で、周りの人からは好かれていたのではないでしょうか。

    そのお陰で、実力者ながら気配りにも長けていた藤原時平に声を掛けられて、大内記や古今集編纂者に抜擢され、晩年に花が開きました。残念ながら、仕事半ばで亡くなってしまいましたが、紀貫之や壬生忠岑の心のこもった追悼の歌を見ると、それもまた本望と言えるのではとも感じます。

    友則の女性関係について記した資料は見当たりませんでしたが、彼は恋の歌もいくつか残しています。その一つで、小生が気に入ったのは次の忍ぶ恋の歌です。

    川の瀬になびく玉藻のみ隠れて人に知られぬ恋もするかな

    この歌は寛平の后宮の歌合わせの時に詠まれた歌ですが、なかなか素敵な歌だと思いませんか?

    • 百々爺 のコメント:

      ・紀友則ってどんな風貌の人だったのか手がかりでもつかめればと思い光琳かるたを見て驚きました。何と無精ひげ(のように見える)を伸ばし目をつむって絶え入るような感じです(盲目と言われる蝉丸も目をつむっているが他の98人は皆目を開いている)。下の句の絵には桜とともに大きな真赤な太陽が画かれていてこれも異常。光琳先生は友則のこと何か考えるところあったのでしょうか。どうも穏やかな春風駘蕩の図とは思われないのですが。。

      ・友則と歌を交し友則の任官への道を開いた時平の逸話、いいですねぇ。道真を讒訴して死に追いやった悪人のイメージが強い時平ですが権力争いとはそんなもの、時平の別の面を見るような気がします。
       →早死にが気の毒にも思えてきました。

      川の瀬になびく玉藻のみ隠れて人に知られぬ恋もするかな
       →なるほど控え目な人柄が出ていますね。
       →この時恋の歌、五首も詠んでいるのですね。

      • 源智平朝臣 のコメント:

        ・光琳かるた、小生も見てみました。百々爺の言うとおり、紀友則の姿は無精ひげ(のように見える)を伸ばし目をつむって絶え入るような感じのようにも見えます。でも、小生の解釈では、①ひげを付けたのは紀友則が(当時の感覚では)老人になってから役に就いた晩成型の人物であったことを示すため、②目をつむっているのは、のどかな春の光を浴びてウトウトとしていることを示すため、と考えますが、如何でしょうか。ちなみの、蜀山人の狂歌百人一首の蛇足解説では、友則の33番歌を「ウトウト昼寝しながらひねった一首という感じです」と記しています。

        ・すみません。藤原時平を気配りに長けた弟の忠平と取り違えてコメントしてしまいました。時平にとって菅原道真は何とか失脚させたい権力争いのライバルであるのに対して、紀友則は人畜無害の年寄り歌人なので、やさしく声を掛けて面倒を見たのでしょうね。百々爺と同様に、このエピソードはとても良い話であると思うし、時平にもこうした年長者思いのやさしい面もあったと知ると彼の評価もちょっぴり上がります。

        • 百々爺 のコメント:

          光琳かるたの友則の姿はそういう解釈ですか。なるほどそれもあるでしょうね。蜀山人も光琳かるたを見て「ウトウト昼寝しながら、、、」と思ったのかもしれません。でも桜がひとひらひとひら散ってるならウトウトもできましょうが「しづこころなく」あわただしく降りしきってる中でウトウトとは相当老いぼれたときかもしれませんね。

  6. 文屋多寡秀 のコメント:

    番外

    本日は、人気作家の作品と素顔に迫る第38回「よみうり読書 芦屋サロン」に行ってきました。ゲストは三浦しをんさん。読者層の広さを反映して老若男女入り乱れての満員盛況でした。

    席上初めて耳にしましたのが「掌編小説」。曰く9枚の原稿用紙に仕上げる手のひらに載るような超短編小説とのこと。普通、短編という場合30枚くらいは書くそうですから、かなりそぎ落としたスタイル。いわば小説の俳句のようなもの。したがって俳句と同じように作品が独り歩きすることは、俳句と共通点。作者の思いもよらない様な深読み、解釈もしょっちゅうとのこと。我らが苦吟すると同様、それなりに小説のスタイルを吹きこむのは、かなり難しい作業とのこと。この人気作家にして悩むんですから、われら凡人がしょっちゅう歯ぎしりしながら、月末の課題句を仕上げる苦労は当たり前かもしれません。

    本日のトークショウの内容は、読売新聞10月14日夕刊に載るとのことです。

    • 百々爺 のコメント:

      番外コメントありがとうございます。大歓迎です。

      しをんちゃん、色んな所で大活躍ですね。そろそろ新作(長編)を期待しているんですが。。

      「掌編小説」ですか、なるほど。難しそうですね。芥川の短編なんかそんな感じですがもっと短いんでしょうか。俳句が独り歩きするのは分かりますが原稿用紙9枚も書いて解釈が分かれる、、、ちょっと分かりませんねぇ。一度掌編小説読んでみたいです。しをんちゃんは書いてるのでしょうか。

      • 文屋多寡秀 のコメント:

        関西版限定かもしれませんが、読売新聞9月11日付け、「よみうり読書 芦屋サロン」欄に、「滝と虹」と題して掌編小説を載せています。「かむさりなあなあ日常」の取材で懇意になった尾鷲に旅した時の体験をモチーフにして原稿用紙9枚作品をものしています。

        そうすると、トークショウの内容が、読売新聞10月14日夕刊に載るのも関西限定かもしれませんね。

  7. 小町姐 のコメント:

    先日図書館でしをんさんの新刊「あの家に暮らす四人の女」 を予約したら590番目でした。
    予約枠(6冊)を無駄に使いたくないので取り消しました。
    しをんさん、今や超人気女流作家ですね。

    • 百々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      そうだ、何かでしをんちゃんの新刊が出たと読んだ記憶があったのですがその後あまり話題になってないので失念していました。新しい分野でしょうか。でもしをんちゃん風なのでしょうね。読んでみます。

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