39番 参議等 類型句に託す忍ぶ恋

呼び出しに「39ば~ん、さんぎのひとし~~」なんて触れられてもピンときませんね。どんな人なんでしょう。

39.浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき

訳詩:    浅茅の野に生い茂っている篠竹の原
       しのぶ思いに屈する心
       それももうしのびきれない
       胸に溢れて隠しおおせぬほどにどうして
       あなたがこんなに恋しいのだろう

作者:参議等(源等)880-951 72才 嵯峨天皇の曾孫 参議四位 後撰集に4首
出典:後撰集 恋一577
詞書:「人につかはしける」

①源等は嵯峨帝の曾孫(ひまご) 嵯峨源氏 官位は参議
・父(嵯峨帝の孫)は源希 官位は中納言
 父の父(嵯峨帝の子)は源弘 官位は大納言
 →天皇から世代が遠ざかるにつれて官位が一つづつ下がっている。仕方なかろう。

 参議とは令外の官で納言に次ぐ重職 四位以上 左右大臣、内大臣を補佐

・源等、880-951 参議だけに生没年はきっちり分かっている。
  宇多朝~醍醐朝~朱雀朝~村上朝の初めまで
  三河守・丹波守・美濃権守・備前守・大宰大弐・山城守、、正に受領であった。

  光琳かるたもそうだが源等の絵は武者姿が多い。でも武家には関係なさそう。
  序でだが光琳かるたの下句の絵は浅茅でなく蓬だと思うのだがどうしてだろう。

②歌人としての源等 
・後撰集に4首のみ 歌合にも出てないし他歌人との交流も見当たらない。
 世代としては定方、兼輔、貫之らとほぼ同じなのに。
 →どうみても群小歌人で百人一首に撰ばれる歌人とは思えない。
 →定家は人でなく歌そのものを評価したのであろう。
 →その意味では32春道列樹と同じく一発屋と言えよう。

・源等の39番歌以外の歌
 東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなき(後撰集)
 かげろふに見しばかりにや浜千鳥ゆくへもしらぬ恋にまどはむ(後撰集) 
 →39番歌と同じで上句が序詞のスタイルの歌が多いようだ。

③さて定家が歌で撰んだ39番歌について
 浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき
・「浅茅生の小野の篠原」は「忍ぶれど」を導く序詞
  殆ど常套句と言っていいほど類型が多い
 
 本歌とされるのは、
 浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめやいふ人なしに 古今集読み人しらず

・浅茅、蓬、葎は荒れた土地、屋敷の象徴として源氏物語には頻出
 浅茅生の「生」は生えているところの意
 浅茅生、蓬生、粟生、芝生、麻生、園生

 浅茅は39番歌 「浅茅生の小野の篠原」
 葎は47番歌 「八重葎」 荒廃した河原院

・小野は洛北の小野のではなくて普通名詞 野原
 篠原 篠竹が繁る原っぱ 人気がなく寂しいイメージか。

・歌意 今までじっと忍んできた恋心がついに抑えきれなくなってしまった、、、。
 抑えきれない恋、次の40番歌「忍ぶれど」につながる。
 →定家は類型の上句を使いながら下句で細かくたたみこむ口調で恋心を積極的に歌い上げたとして高く評価している(島津)。

・後撰集の詞書は「人につかはしける」
 →折角忍んできた恋心を相手に吐露したということか。
 →これでは忍ぶ恋でなく真っ向から挑む恋ではなかろうか。

・39番歌を本歌とした定家の歌
 霜うづむ小野の篠原しのぶとてしばしもおかぬ秋のかたみを

④源氏物語との関連
・荒れた屋敷と言えば源氏が須磨明石に謫居となり3年近く訪れることのなかった末摘花邸、この屋敷の叙述がすごい。

 かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒をあらそひて生ひのぼる。葎は西東の御門を閉ぢ籠めたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞめざましき。蓬生3 
 →これでもかの表現である。この荒れ屋敷を源氏が忠臣惟光を従えて訪れる。
 →「国宝源氏物語絵巻 蓬生」の有名場面である。

・源氏物語中の忍ぶ恋と言えば、、、、
  源氏と藤壷 源氏と朧月夜 源氏と玉鬘
  柏木と女三の宮
  夕霧と落葉の君
  匂宮と浮舟
  それぞれの恋模様が頭をよぎります。

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39番 参議等 類型句に託す忍ぶ恋 への14件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    参議、ん?、どこやらで聞いた名前。参議院ではありませんぞ。
    そうそう参議篁でした。
    光琳かるた見てみました。確かにこの絵は蓬と思われます。
    でも「浅茅生の小野の篠原」言葉自体が蓬生を連想させますね。
    忍ぶ恋にぴったりの背景ですもの。

    私もこの風景は真っ先に源氏物語「蓬生」の場面を思い出しました。
    そして源氏物語絵巻の荒れ果てた屋敷(末摘花邸)を想像します。
    来月の今日、本物の国宝 源氏物語絵巻「蓬生」に会えるのが楽しみです。

    39番歌 浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき
    心の中にも風が吹き抜けるような侘しさむなしさが漂い何だか同情にたえません。
    果たしてお相手はよほどのやんごとなき人で禁断の忍ぶ恋なのでしょうか?
    詞書に「人につかはしける」とあるので実際に贈答したのでしょうね。
    「忍ぶ恋」の為にこの背景を作り上げて歌に詠んだとすれば何だか作者の余裕すら感じます。
    その為か「しのびてなどか」の言葉の割にはそんなには切羽詰まった悲壮感が伝わってきません。
    むしろ忍ぶ恋そのものを客観的に見ているように感じますがいかがでしょうか?

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうでした。11番は参議篁でしたね。篁は武勇に優れた小野家ということで武家姿でした。これにつられて参議の等も武装したのでしょうかね。百人一首に参議の肩書で登場するもう一人は94番参議雅経(藤原雅経)。こちらは武家姿ではありません。

      ・荒れ屋敷にひっそり住む美貌の姫君、、、。都の貴人たちが争って押し寄せる。古来、物語の一つの類型だったのでしょう。源氏物語も正統的な紫のゆかりの話だけではちょっと物足りない。それで雨夜の品定めで中の品の女性こそ面白いと設定し空蝉(受領階級の人妻)、夕顔(親友頭中将のモト愛人)、末摘花(荒れ屋敷の美女?!)を設定し物語に奥深さを作り出したのだと思います。そういう女性たちにも誠心誠意を尽す。源氏はエライ男でありました。

      ・「人につかはしける」、忍ぶ恋の告白を相手に告げるなんてちょっとおかしいですよね。ひょっとすると「できレース」かもしれませんよ。お互いに意は通じ合っている。でもそうおおっぴらにできる関係でもない。「ボクがぐっと我慢してキミを恋続けているのは分かってるでしょう。でも時々君が恋しくて我慢しきれない時もあるんだ」というラブレターだったりして。。

  2. 百合局 のコメント:

    この歌は音の重ね合いが優れているようです。「し」音、「の」音、「あ」音、これらの繰り返しが音楽のように感じられます。
     「浅茅生の小野の篠原」という序詞そのものもいいですよね。俳句で良い季題を見つけた気分と同じです。篠原の景色が心にぱっと広がります。

     安東次男は「定家はこの歌を歌論書の多くに採っていて、本歌取り恋歌の一典型と考えたか」としています。また、下記の二つの歌をあげて「いずれも恋歌の素材としては等の歌で言い尽されてしまったから、四季の歌に移して工夫をした」と書いています。
    浅茅生の小野のしのはらうちなびきをちかた人に秋かぜぞ吹く」(定家)
    浅茅生の小野のしのはら霜枯れていづくを秋の形見とか見む」 (俊成女)

    • 百々爺 のコメント:

      ・「おののしのはらしのぶれど」確かにリズミカルな歌ですね。
       上句が「あ」で始まる歌が16首、その内下句も「あ」で始まる歌が3首。39番歌もその一つです(他には30番「ありあけの」64番「あさぼらけう」)。カルタとしては取りにくい歌じゃないでしょうか。

      ・なるほど、恋歌の類型序詞を季節の歌に変える。本歌取りにそういう方法もあるのですか。これも「浅茅生のおののしのはら」がリズミカルだからでしょうね。
       

  3. 浜寺八麻呂 のコメント:

    手持ちの本 ”国宝 源氏物語絵巻 54帖”より、”蓬生”を見ました。
    物語では末摘花の屋敷を”浅茅は庭の面も見えず しげき蓬は軒をあらそいて生ひのびる”と書かれています。

    国宝絵巻”蓬生”をみると、貧しくもひたすら待っている末摘花を、明石から帰ってきた源氏が訪れる場面、季節は卯月、蓬のみ描かれています。蓬の季語は春、その蓬の生い茂れる4月、荒れた庭に源氏が訪れる場面、物語の描写をそのまま絵に描いたなかなかいい再会の場面です。

    一方、茅は調べると秋の季語とあり、”小野”と歌われていますが、歌からは秋風吹きしく人家も見えぬ広大な原っぱ、または例えば鴨川流れる川原に群生するすすきをイメージしてしまいます。いずれにせと、蓬より茅のほうが、ずっと寂寞とした寂しさが勝る気がします。この39番歌はやはり茅がいいですね。さらに歌の調べも流れるようで実に美しい歌ですね。

    昨日大学時代のクラブの同窓会があり、自分の現況報告で、百人一首をやっており、明日は

    39.浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき

    にブログでコメントするといったところ、かやはどういう字を書くのか聞かれました。茅と手で書いて見せましたが、
    かやは萱とも書きます。刈り取った萱を屋根などに葺くときに使う字が萱でしょうか。

    田辺聖子さんは、この歌の解説で、茅花のことに触れ、噛んだらかすかな甘みがあったと書いていますが、小生は経験なし。
    万葉集から引用し、

    戯奴がため 吾手もすまに 春の野に抜ける茅花ぞ 食して肥えませ  
                  紀女朗           巻8・1460
    吾が君に 戯奴は恋ふらし 給りたる 茅花を喫めど いや痩せに痩す 
                  大伴家持             1462

    の歌を紹介していますが、いかにも万葉的でのどかな恋歌でありほほえましいです。古今集、後撰集の恋歌とは確かにかなり違いますね。

    雑談:

    先週木・金・土と用事もあり、京都に行っていました。

    1)風俗博物館に初めて行って来ました。
    *女三宮の持仏開眼供養     鈴虫
    *女三宮の裳着         若菜 上
    *女三宮の出家生活       鈴虫

    *筒井筒            伊勢物語
    *婚礼
    *更衣の髪型
    などが展示されていました。

    特に衣装には気を使い、物語の場面を実に忠実に再現しており、法衣の井筒という個人会社がやっているとは思えぬ、すばらしい展示でしたが、女性の方のほうが評価は高そうに思えました。。
    なお、六ヶ月ごとに展示を入れ替えるそうで、全ての場面を見るには少なくとも五年はかかりそうでした。

    2)仁和寺にも行きました。
    光孝天皇が建立をはじめ、宇多天皇の時代に完成された、真言宗のお寺。出家後の宇多法王が住した御室御所です。百人一首にこれまで出てきた、藤原定方・藤原忠平・藤原宗ゆき・藤原兼輔・凡河内み恒・壬生忠岑・紀貫之ら、そして今回の39番歌 源等なども訪れていたのかと思いながら、のんびりと庭など眺めて来ました。この庭、平安中期当時にはどんな庭であったのか不明ですが、いまの庭はのんびり眺めるのには非常にいい庭でした。
    因みに、40番歌以降も、宇多法王関係者がまだまだ出てくるようです。

    そして”徒然草”に出てくる話”仁和寺にある法師”、源氏物語完読記念で訪れた岩清水八幡宮で有名ですね。
    近くを散策していたら、御室に住んでいた兼好法師の石碑が2つほど建っていました。
    なんとなく兼好法師が住んでいそうな雰囲気が残る静かな御室でした。

    • 百々爺 のコメント:

      ・荒れた土地、屋敷を象徴するものとしての浅茅、蓬、葎。それぞれについて考えてみました(日ごろ散歩で荒地観察家を自称している爺の見解です)。

       1 「蓬」 これはおっしゃる通り春から初夏にかけてでしょう。蓬もそうですがナズナ(ぺんぺんぐさ)がすごい。背丈はそう高くないがびっしりと生い茂る。これに加えて現在は外来種のナヨクサフジとナガミヒナゲシ。あっと言う間に占領されてしまいます。

       2 「葎」 カナムグラ(八重葎) これは盛夏でしょう(夏の季語です)。夏になるとつる性植物が木を伝い垣根を伝い屋根にまで生え上る。カナムグラ、ヤブカラシ、カラスウリ。それと秋にかけては葛(クズ)がすごい。伝わる物がなくてもつるを伸ばし風に揺られる様は恐ろしくさえなります。

       3 「浅茅」 これは秋、ちょうど今ごろでしょうか。大型はススキ、オギ、ガマ、マコモ、ヨシ。小型はエノコログサ、メイシバ、カヤツリグサ、チカラシバ、、、全てイネ科の植物です。これらイネ科に加えて最近は外来種のセイタカアワダチソウとセンダングサ。黄色くて遠めにはきれいだがその繁殖力たるやすごいものです。

       →関係ない話ですみません。田辺さんがこの歌の解説で紹介している「野草図鑑」全八巻取り揃えました(勿論中古です)。爺も百々爺の次は草爺になるのかも。。

      ・京都旅行記ありがとうございます。風俗博物館の展示面白そうですね。店主の個人的想いって相当なもののようですね。女三宮の裳着~出家ですか。思えば女三宮は14才で源氏に嫁し21才で柏木と通じ翌年22才で薫を生み、源氏の冷たさに絶望して出家する。22才で出家なんて、、、。ゾッとする話でありました。
       →大学の若菜の講義は順調に進んでいますか。読みこめば読み込むだけ深い話だと思います。

       仁和寺は光孝天皇創建の寺でしたね。ずっと光孝-宇多系の天皇が続くわけですから仁和寺は皇室ゆかりの寺。平安王朝人も大切にお詣りしたのでしょうね。
       →源氏物語で朱雀院が出家したとされる「西山なるお寺」が仁和寺でしたね。源氏の出家したのは「嵯峨のお寺」でしたかね。 

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    源等の人物像についてはネットで調べたところ、彼の娘が43番歌の作者で右近の恋の相手だった藤原敦忠の妻の一人であったことが分かりました。それ以外は百々爺の解説に付け加える事柄が見当たらなかったので、小生は「忍ぶ恋」について自説を述べたいと思います。

    広辞苑によれば、「忍ぶ」には次の3つの意味があります。
    ①こらえる。我慢する。耐える。
    ②秘密にする。隠す。
    ③人目を避ける。かくれる。

    「忍ぶ恋」にも、この3つに応じた意味や態様があると思料します。この内、①は未だ相手に告白していない恋を意味します。②と③は既に相手に告白して、恋愛関係に入っている恋を意味し、②と③の相違は表現が他動詞的か自動詞的だけで、意味の相違は特にありません。恋の発展段階としては、①から②③に移るのはよくあることであり、39番歌は「①の状態でいるのはもう苦しくて耐えられない、何とかして相手に告白をしたい」という抑えがたい恋の気持ちを詠んだものと思われます。爺が挙げた源氏物語中の忍ぶ恋は全て②③の段階に移っていると言えます。

    しかしながら、小生は「武士道と云うは死ぬることと見つけたり」の言葉で有名な「葉隠」を読んだ時から、真の忍ぶ恋は①の恋ではないかと思うようになりました。ここで、葉隠の該当部分を記せば、次のとおりです。
    「恋の至極は忍恋と見立て申し候。逢ひてからは、恋の長けが低し。一生忍びて思い死にするこそ、恋の本意なれ。」 

    なぜ葉隠が①の恋を至極とするかと言えば、「相手に告白することは相手が欲しいという欲望(肉欲)を示すものであって次元が低い。また、告白すれば、相手に負担をかけることにもなる。それより、告白しないで徹底的に相手を愛し、いざという時に守ることこそ、恋の至極である。」からのようです。

    葉隠を読んだのは結婚していたけれども、まだまだ若い時。心に秘めた恋を生涯貫き通すのが最も純粋な恋であるという葉隠の言葉に大いに感激しました。その後も、葉隠の言うとおりとは思うものの、実践に移すのはとても難しいと痛感しています。

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうですね、43敦忠は源等の娘を妻の一人として愛したと書かれていました。源等の娘となると嵯峨帝の玄孫(皇族の血筋)、敦忠は醍醐帝の雅子内親王にご執心だったが実らず、妻は藤原の姫君ばかりだったので皇族ゆかりの女性(源等の娘)には格別な思いがあったのかもしれません。

      ・「忍ぶ恋」の3分類の考察、面白いですね。
       確かに①の段階で終わってるのなら物語にはなりません。そもそも相手にも伝わらない(伝えない)恋って恋と言えるのでしょうか。

       それにしても「葉隠」って強烈ですね。徹底的な精神主義でちょっと現実的とは思われません。いざという時守るってことはいつもアプローチできる所にいて何かあったらすぐ駆けつけるってことですかね。何だかストーカーのように思えるのですが。

       肉欲を伴わない恋って却って相手に失礼だと思うし、、、独り善がりでなく女性の身にもなって恋のあり方を考える方が自然だと思うのですがねぇ。
       →「思い死に」ですか。人口減ってどうしようもないですね。

  5. 枇杷の実 のコメント:

    歌に詠む恋の本質は「苦しいもの」だそうで、この歌は忍ぶ恋の苦しさ。
    同じテーマで、14番「陸奥のしのぶもぢづり誰故にみだれ初めにし我ならなくに」(源融)がありました。
    両者とも嵯峨源氏で、70才を超えて長寿したが、生い立ちは異なる。融は皇子で源氏初代、等は融の兄、弘(ひろむ)を祖父とし、三世の源氏となるとおのずと境遇、官職にも違いが出る。
    その為か、歌のテーマ「忍ぶ苦しさ」からみると、心の乱れ(度)は等の方が大きいように感ずる。光源氏のモデルとされ、風流人であるだけに融の歌には、艶っぽさがあり、多少の余裕がみえる。同じ姓の大先輩である融には、教養、才能、資質、財力があり、等には及ばぬところであるが、数少ない歌の中から定家が百首の一首にピックアップしている所から、その歌才は融を上回る評価があったのかも。

    この歌の本歌とされる「浅茅生の小野の篠原しのぶとも人知るらめやいふ人なしに」(古今集)。本歌の「しのぶとも」はあくまで忍ことが仮定であるのに対して、等の歌は「しのぶれど」とすることで、すでに忍びに忍んでしることを確定させている。浅茅生・小野・篠原と三つも野原を出していたり「の」の音を多用しているのは、語調を整えるということ以上に、後半への「ため」を作っている。そして、「しのぶれど」の「ど」で、忍びに忍んできた思いがせき止められ、ついに溢れ出す効果を生んでいるところが、本歌との一番おおきな違いだ・・と板野博行は書いている。
    ふ~ん、そこまで考えるものか。

    源等、源融のうたも贈った相手(女)が不明。この歌も
      君恋し~ 思いはみだれて 苦しき幾夜を 誰がため忍ばん(フランク永井)

    • 百々爺 のコメント:

      いやあ色々幅広く調べていますね。板野博行って誰かと思ったら予備校の古文の先生なんですね。林先生なんて超売れっ子だし、国語の先生も捨てたものではないのですね。
       →国語なんてつまらない学科を商売にしても儲からんだろうと思うのは間違いなんですね。斎藤孝先生もいますしね。

      ・賜姓源氏も代が下がると皇族の領域からはぐっと遠くなるのでしょうね。14融は嵯峨帝の皇子、28宗于は光孝帝の孫、39等は嵯峨帝の曾孫、48重之は清和帝の曾孫。後は71経信、74俊頼、78兼昌になると系譜も定かでないし93実朝は三代将軍ですからね。
       →まあ曾孫ぐらいまではそれなりに重んじられたのでしょう。でも皇子である融とは比較にならないでしょうね。
       →源氏物語も光源氏が桐壷帝の皇子(一世源氏)だから面白いのでしょう。

      ・等が歌を贈った相手、誰なんでしょうね。ひょっとすると「浅茅生の小野の篠原」が単なる序詞ではなく実際に洛北小野の里の荒れ屋敷に浮舟みたいな訳ありの女性がいるのを何かの縁で等がかぎつけ懸想を仕掛けていたのかもしれません(想像の翼です)。
       →浮舟にしつこく言い寄った「中将」といういけ好かない男がいました。

       中将→浮舟(手習25)
       おほかたの世を背きける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ
      (これは忍ぶ恋と言うより率直過ぎて身も蓋もないですが)

  6. 昭和蝉丸 のコメント:

    浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
    あまりて などか 人の恋しき

    これは 好い歌ですねぇ。
    この歌、次の40番と“対句”として味わうのがミソらしいですが、
    言葉の響きがすばらしく、ついつい何度も 口ずさんでしまいます。

     まったく脱線しますが ;作者の源等。
       植木等の東宝映画「無責任シリーズ」では、主人公(植木等)が
       毎回、“ナントカ等” という名前で登場しましたが、
       一作目が平等(たいらひとし)、二作目がこの源等でした。

    今回、改めて百々爺の奥深さに引き込まれたのが、野草・雑草の薀蓄。
    小生も スポチャリで走る時、稲垣栄洋さんの「散歩が楽しくなる
    雑草手帳」をパックバックに潜ませていますが、
    よくまぁスラスラと野草の名前が出てくるものです。
    百人一首の野草はじめ草花については、聖子オバチャンの解説本が、
    結構述べられており、密かに(?)投稿のネタにしようかなと
    思っていましたが、百々爺は 既に 野草図鑑全八巻まで手中に
    入れている由。
    イヤハヤ・・・。

    • 百々爺 のコメント:

      ・39番歌、音の響きがすばらしいですか。「おののしのはら」ですね。何度も声に出して読んでみると自ずと自分にとって合ってる歌とちょっとしっくり来ない歌が区別できるように思います。素人の鑑賞ですからそんな好き嫌いでいいのでしょう。

      ・おっ、等から植木等ですか。懐かしい。三重県伊勢地方出身、住職の息子。爺の1000曲リストにもけっこうあります。「めんどうみたよ」とか「ハイそれまでよ」とか。
       →序でに芸能ネタを一つ。39番歌からつけた「浅茅しのぶ」というタカラジェンヌがいたそうです(どこかに書いてあるのみただけで実際には知りませんが)。

      ・野草雑草観察、散歩の楽しみです。日々発見があって面白いですよ。少しは知識があった方が興味が増すと思いちょっと本を揃えてみただけです。

  7. 文屋多寡秀 のコメント:

    今月の日経・私の履歴書は「JR東海名誉会長」の葛西敬之氏です。国鉄分割民営化への壮絶な戦いを日々披露しておられます。旧勢力との戦いはいつの世も猛烈な反発を買うものです。

    さて39番歌・参議等ですが、この歌、抑え難い恋心を詠んだ歌ではありますが、ただそれだけの歌なんでしょうか。一般的に11番歌(参議篁)と同じように、参議が官職名で本名は源等です。名が役名で書かれている場合、その歌は「職務に関する歌」であることほとんどです。すると作者は官職名で詩的な恋の歌を詠んでることになります。しかし参議といえば大変な高官です。政府の要職にある人が、仕事そっちのけで、ただ彼女が恋しいと詠んでいるのでしょうか。さてこの歌の真意はどこに?

    この歌で目を引くのが茅(ススキ)と篠(若竹)です。共に少しの風にも決して折れたり倒れたりしません。この二つの植物は、世間のいかなる風にあおられようと決して負けず、決してくじけない、そんな人としての強さを暗示しています。参議の歌は、冷たく荒い世間の風に吹かれながら、それにじっと耐えている姿を連想させます。

    冒頭引用しました「国鉄民営化」のように、政治家や高級官僚が、世の中の仕組みを変えようとすれば、必ず猛烈な反発を食らいます。これは千年前の昔も今も何ら変わりはありません。

    この歌を単なる恋の歌と読むのもよし。しかし参議の職に合って「人の恋しき」というならばそれは「何よりも民衆を大事に思う、激情にも似た強い気持ち」であると解釈するほうが、より自然ではないかと。

    この歌は世間の強いバッシングに合いながらも、必死で民衆のために政治を行おうとする高官の思いが、はっきりと表れている歌であると。そして政敵に対してさえも、深い愛情を抱く、日本人の心を詠んだ歌なのですと。我らがねずさんはかくの如く読み解いておられます。(小名木善行:日本人の心で読み解く百人一首)

    • 百々爺 のコメント:

      色んな本を読んでおられますねぇ。感心します。葛西さんとねずさん、お二人はウマが合うのでしょうね(私にはちょっと危なっかしく思えますが)。

      どんな読み方をしようと勝手でしょうがちょっと押しつけがましいですね。源等は最終官位が参議に違いありませんが68才にしてやっと参議にしてもらったような感じで決して政府の要職で時代をリードしてきたような人ではないでしょう(源等のことを悪く言ってるのでなく実物大で見ているだけです)。仕事を離れ人を恋しいと思う気持ちを詠んだというのでいいと思うんですが。。。

       →ねずさんの本、私も参照してますが、39番歌の所には「また、バカなことを!」と書き込んでありました。

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