45番 藤原の主流となれなかった伊尹 あはれとも言ふべき人は、、

権門の人藤原伊尹。事と次第によっては藤原摂関家を牛耳れたかもしれないのに、結局は弟の兼家―道長ラインに流れが行ってしまう。どこに狂いがあったのでしょう。
(43敦忠(時平の子)44朝忠(定方の子)45伊尹(師輔の子)と藤原の貴公子たちが3人並ぶのも意図的なものだろうか)

45.あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

訳詩:    ああかわいそうに と
       いとおしんでくれそうな人も思い当たらず
       つれない方に むなしくこがれつつ
       わが身のむなしく消えゆく日を
       ただ手をつかねて待つだけなのか

作者:謙徳公(藤原伊尹これただ)924-972 49才 師輔の長男 二位太政大臣
出典:拾遺集 恋五950
詞書:「もの言ひ侍りける女の、後につれなく侍りて、さらにあはず侍りければ」

①藤原伊尹 一条摂政太政大臣 謙徳公は諡
 父は藤原師輔(九条流の祖)父の父は26忠平 摂関家の本筋である。
 母は藤原南家筋の盛子=伊尹、兼通、兼家、安子(村上帝皇后)を生む
 →この母がすごい。安子は冷泉帝・円融帝の生母となる。
 →伊尹にとっては妹(安子)が皇后、甥が天皇(冷泉・円融)である。

 忠平の跡目争い(摂関家筆頭)は忠平の長男実頼に行きそうだったが実頼は外戚になり得ず結局は安子を通して外戚となった次男師輔の一族に移る。その筆頭が伊尹。

(父師輔については43敦忠の項参照。好色、内親王狂い。いい意味でのやり手だった)
(師輔のもう一面は倹約家、倫理家 子孫に家訓「九条殿遺誡」を残している)

 960 父師輔死亡 (天徳歌合の直前のこと)
 967 冷泉帝即位 (冷泉帝には精神的障害があった)
 969 円融帝即位  伊尹摂政に ここからが腕の見せ所だったが、、
 972 伊尹死亡@49才  何故死んだのか、、、、次項以降
 984 花山帝即位 (花山帝の生母は伊尹の娘懐子、ここまで伊尹が生きていたら!)
 986 一条帝即位  伊尹の弟たち(兼通→兼家→道長)の覇権争いへと移っていく

  一つ重要なのが「安和の変」969
  冷泉帝の後をどうするか、普通なら冷泉帝の次弟の為平親王となるところ、為平親王には源高明の娘が嫁いでいた。源高明に外戚になられては拙いということで強引に源高明を陥れ大宰府へと左遷した。この黒幕が伊尹だったとも言われている。この変が藤原氏による他氏排斥の最後。以降は藤原一族(兄弟間)内部の熾烈な内輪争いとなる。

  50藤原義孝は伊尹の三男だが974 21才で夭逝している。
  能書家で51藤原実方との諍い、62清少納言との応酬で有名な藤原行成は義孝の子だから伊尹の孫にあたる。

 →以上権門の人伊尹についてですがゴチャゴチャしてうまくまとめられませんでした。すみません。「百人一首の作者たち」(目崎徳衛)がp188-196詳しく論じています。

②藤原伊尹の人物像
・歌人としては後撰集2首 勅撰集に38首 相当な歌人 風流人であった。
 後撰集編纂951にあたっては和歌所別当として梨壺の五人を統率

・「一条摂政御集」藤原伊尹による3部194首からなる歌物語集
  倉橋豊蔭なる曳官の男を主人公に数々の女性たちとの恋模様をえがく。
  →登場する女性たちは伊尹の実体験によるものらしい。
  →自分を業平に見立てたわけでもなかろうに(読んでないので分かりませんが)
  →ちょっとエエかっこしいの特異な男だった感じがする。

 一条摂政御集より1首あげておきます。 
  恨むること侍りて、さらにまうでこじと誓言して、
  二日ばかりありてつかはしける

  別れては昨日今日こそへだてつれ千世しも経たる心ちのみする(新古1237)
  →恨んだりすねたり言い訳したり、、、悩める恋模様の歌のオンパレードのようです。

・43敦忠は父師輔の従兄弟、敦忠の死後哀悼の歌を詠んでいる。
  中納言敦忠まかりかくれて後、比叡の西坂本の山庄に人々まかりて花見はべりけるに
   いにしへは散るをや人の惜しみけむ花こそ今は昔恋ふらし 
拾遺抄

・伊尹 49才にして病に倒れ死亡。死因は何か。色々書かれている。
 .父師輔の遺誡を守らず贅沢三昧をしたバチがあたった。
 .44朝忠の弟朝成に官職を譲る約束をしたが破った。朝成の生霊に祟られた。
 .栄花物語「御心地、例ならずのみおはしまして、水をのみここしめせど」糖尿病か。
  →相当無茶な贅沢三昧だったようで「複合成人病」でしょうか。
  →死後の諡「謙徳公」は皮肉か洒落か。。

 結局伊尹は絶好の出自、血縁を生かせず中途半端に終わってしまった。自らを律し他を圧倒していくという政治的資質に乏しかった男と言えましょうか。

③45番歌 あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
・あはれとも言うべき人は思ほえで、、
 心弱い純情ぶりをうたった異色の歌(大岡信)
 ハートブレークの歌、女々しいやさ男の歌(田辺)
 →「ボクってこんな可哀そうな男」って訴えてる感じか。
 →一条摂政御集の巻頭歌。いかにも虚構っぽい。本心からの歌ではなかろう。

・言ふべき人 世間一般の人か相手の女性か
 →歌を贈ってる相手の女性に訴えてるというのでいいと思うのですが。

・身のいたづらになる、、
 恋死にしてしまう。強烈な歌である。こんなの贈られたら女性も後味悪いことだろう。
 恋するのもスカッと爽やかに行かなくっちゃ、、(それじゃ文学にならないでしょうが)

④源氏物語との関連
 これは「あはれ、衛門督!」柏木物語に尽きるでしょう。
 若菜下26柏木が女三の宮の寝所を襲い想いを遂げる場面、柏木は女三の宮に「あはれ」との言葉さえ掛けてもらえさえすればそれでいいと繰り返し訴える。

 柏木→女三の宮
 「さらば不用なめり。身をいたづらにやはなしはてぬ。いと棄てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ、今宵に限りはべりなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるしたまふさまならば、それにかへつるに棄てはべりなまし」、、、、、
 「かう、いとつらき御心にうつし心も失せはべりぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだにのたまはせよ」 

 以後密通が源氏にバレ源氏にいびり殺されるようについには亡くなってしまう柏木。
 若菜下~柏木には「あはれ」という語が何十回となく繰り返される。源氏物語が「もののあはれ」の物語と言われる所以である。

 百人一首で「あはれ」が出てくるのは本45番歌と66番歌の2首。意外と少ない。
 66もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし 大僧正行尊 

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45番 藤原の主流となれなかった伊尹 あはれとも言ふべき人は、、 への22件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    謙徳公って誰・・・藤原伊尹も誰って感じ。 
    調べて見れば九条右大臣師輔の長男で政治的にも昇進著しく才貌優れ、和歌所別当でもあり後撰集 撰進の監督に当たった・・・・と。
    そして祖父は藤原忠平(貞信公)、すごい家系じゃないですか。
    連綿たる藤原北家、と言うことは先回44番歌の例の系図でいえば兼家とは兄弟の間柄でしかも長男。
    その名門中の名門、優秀な人物が藤原氏主流から外れたのは何故?
    百々爺さん解説から想像すれば贅沢三昧の早逝だったことと安和の変が原因と考えばいいのでしょうか?
    せっかくの自らの血統を生かせなかった無力な男に尽きるのでしょうか・・・

    ここでちょっと横道にそれてイメージしてしまったのが孫、藤原行成。
    能書家で世尊寺流の祖とありますので建礼門院右京大夫の父、伊行はその流れを組むのでしょうね。
    色々脱線が多くて時々頭がこんがらがります。
    この前の「猫間」の中納言光隆じゃないですがずっと繋がっているのですね。
    この流れを全部整理して頭に入れるのはとても無理無理ですが流れを理解すればとても面白いですね。

       あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
    このような出自、血縁の人物が「あわれともいふべき人は」なんて情けない歌を詠むかしら?
    これも何か訳ありの感じがしそうですね。
    若き日の実らぬ恋の哀れ、自信喪失を詠んだのでしょうか?
    こんな文を貰ったらがっかりですね。どうぞご勝手にと言いたいです。

    まさしく源氏物語のあはれ衛門督「柏木」を想像しますね。
    そして先日の国宝源氏物語絵巻の夕霧が瀕死の柏木を見舞う場面がありありと浮かんでくるのであります。

    • 百々爺 のコメント:

      ややこしいですね。ホント頭がこんがらがってきます。まあ何度か読み返して頭に入って来る程度で良しとしましょう。それだけでも十分にボケ防止になってると思いますよ。

      ・謙徳公、藤原氏主流から外れたのは偏に早死にだったからだと思います。安和の変を仕組み源高明を排斥し円融帝が皇位につき摂政になった。皇太子には娘懐子の子(師貞親王=後の花山帝)が立った。長生きさえしていれば(もう一つ言えば息子義孝も)伊尹時代は延々続いたのではないでしょうか。

       →健康管理(肉体的にも、精神的にも)はいつの時代にも大事であります。

      ・建礼門院右京大夫集、進んでおられるようですね。藤原行成がご先祖様ですか。行成ももうじき重要脇役として登場します。楽しみですね。

      あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
       確かに女々しい歌ですね。およそ脂ぎったギラギラの権力者が詠むような歌ではないですね。自らを歌物語の主人公に擬したり、道長のような根っからの権力志向者ではなかったということでしょうか。

       夕霧が柏木を見舞う場面、柏木の今際の口上
        一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ。心苦しきさまにて、院などにもきこしめされたまはむを、つくろひたまへ

        →真面目な夕霧、柏木未亡人女二の宮(落葉の宮)をほっとけなくなる。雲居雁との三角関係へと進んでいくというわけでした。

  2. 浜寺八麻呂 のコメント:

    百々爺ほど大家族ではないのですが、娘家族が旦那の転勤でシンガポールへ行くことになり、一昨日の土曜日から、娘と孫二人(10歳と6歳)が拙宅に泊まりこんでおり、今度の土曜日にシンガポールへ出発するまで、1週間、面倒を見ています。
    で、心に余裕がなく急いで書いていますが、

    今回も百々爺が、家系のこと・歌のこと・源氏物語 柏木のことと、うまくまとめて書いてくれているので、NET ”藤原伊尹 千人万首”より、小生が、藤原伊尹らしいと思った以下2首を、引用します。
    それにしても、今まで知らなかった、敦忠・朝忠・伊尹、この三人なかなか面白いです。

    心やすくもえ逢はぬ人に

    つらかりし君にまさりて憂きものはおのが命の長きなりけり
    (風雅1327)

    【通釈】つれない態度をみせたあなたよりも更に辛いのは、自分の命の長さであったよ。

    【語釈】心安くは逢ってくれない人に宛てた恋歌。

    【他出】一条摂政御集、万代集

    題しらず

    かなしきもあはれもたぐひ多かるを人にふるさぬ言の葉もがな(新勅撰789)

    【通釈】切ないとか、愛しいとか、恋心をあらわす言葉は色々例が多いけれども、人がまだ使い古していない、気のきいた表現があってほしいよ。

    【他出】一条摂政御集、新時代不同歌合

    • 百々爺 のコメント:

      お孫さん海外へですか、寂しくなりますね。普段はスカイプやってできるだけ頻繁にシンガポールへ通うことでしょうね。今週は十分名残を惜しんでください。

      謙徳公の歌の紹介ありがとうございます。恋の歌としてはいいですね。でも藤原摂関家ひいては日本国全体を率いていくべき立場にある権力者の歌とは到底思えません。少し酷ですが結局風流貴公子で終わってしまったひ弱な男に思えます。

      45番歌は伊尹自身を詠った辞世の歌にも思えてきます。

       あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

      • 小町姐 のコメント:

        八麻呂さま
        お孫さん一家のシンガポール転勤はお寂しいでしょうがしばらくの別れ、逆にこちらから何度も訪ねるチャンスです。いいな~
        初めてシンガポールへ行った時は街が近代的できれいなのに驚き。暮らしやすい印象を受け気に入りました。
        あれから10年以上、今のシンガポールはどんなでしょうね。
        又行かれたらいつものように訪問記を書いてください。

        最近感じることですが八麻呂さんの勉強ぶりに感銘を受けております。
        ご自分で努力され、なおかつ著名人や専門家の講義などで知識を吸収その積極的な姿勢はすごいと感心しております。
        源氏がきっかけとなり一気に古典への興味関心が深まっていることが伝わってきます。
        百々爺さん解説の百人一首と源氏関連の38番から44番をわかりやすく整理してくださり、また系図にも及ぶ勉強ぶりは見上げたものです。
        私もここ最近系図に苦労し関心を持ち始めそのつながりに興味を抱いておりますが何しろ時代の開きがありすぎて混乱気味なのです。
        たとえば今読んでいる百合局さんが「貴族の収入」で紹介して下さった杉本苑子の小説「山河寂寥」(ある女官の生涯)はここ最近敦忠・朝忠・伊尹よりも遡るので時代に差がありその系図と合わせるともう頭が混状態になってくるのです。
        杉本苑子は「孤愁の岸」以来大好きな作家なので「散崋」も続いて読みたいと思っています。
        百々爺さんは私のこの辺の混乱をよく理解して下さっているようなのですが・・・
        おっしゃる通りボケ防止の一助にはなるかと思い繰り返し系図を眺めております。
        何度も眺め確認していると自ずと見えてくるものがあるのが面白い所です。
        今後ともよろしくお願いいたします。

        • 小町姐 のコメント:

          追記
          百々爺さま
           あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
           
          なるほどこの歌、伊尹の辞世の歌だと思えば大いに納得できますね。

          • 百々爺 のコメント:

            つくづく読み返すに45番歌は柏木の心情そのものですね。伊尹が紫式部に代って柏木の気持ちを詠んだとでも言いましょうか。

            この歌の切実さ哀しさは命を懸けた恋をしてそれをやり遂げたが最後は破滅してしまう柏木にしか詠めない歌かもしれません。

  3. 百合局 のコメント:

    謙徳公は権力志向者としてよりも風流貴公子として生涯を終えたかったのではありませんか?
    一条摂政御集(大蔵史生豊蔭という卑賤の一人物に仮託し、その若き日の女との贈答を、歌物語ふうに構成した異色の集。45番歌はその冒頭にある)を残しているので、今風にいうなら作家志望だったりして・・
    家柄がどうあろうと人の個性は別ですよね。

    伊勢物語24話→この45番歌→源氏物語の柏木の話 というつながりが感じられます。 伊勢物語の24話は哀しい話ですが、女は次のように歌を詠み
    相思はでかれぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
    そしてそのまま「いたづらに」なったのです。
     この話、45番歌の作者は好きだったのではないかと思いました。

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうですね、風流貴公子として生きたかったのかもしれません。逆に言うとギラギラした権力欲を持つことができない自分を自覚して権謀術数の政治の世界から逃避するべく和歌や物語といった風流の道に精を出したのでしょうか。45番歌は自信のある男の詠む歌ではありませんよね。

      ・伊勢物語24段ですか、なるほど。3年も来なかった男がやっと来てくれた時に女は新しい男を迎えようとしていた。男は去っていく、女は引き留められなかった自分を恥じつつ死んでしまう。。。
       →こういう純情な女性が好きだった。伊尹も純情そのものだったのでしょうね。

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    藤原伊尹の系統が藤原一族内の権力争いから外れ、藤原の主流となれなかった経緯、興味深く拝見しました。百々爺の解説に刺激されて、自分でも少し調べてみましたが、細かく記せばキリがないものの、爺の解説は大きな流れをうまくまとめていると思います。一つだけコメントを記せば、安和の変には伊尹だけでなく、彼の叔父で安和の変によって右大臣から左大臣に昇任した師尹も黒幕の一人として大きな役割を果たしたのではないでしょうか。

    さて、伊尹の系統が権力争いから外れた理由ですが、彼の人間性が権力者タイプとは程遠い所にあったという見方はあるものの、彼は既に47歳で藤氏の長者となって摂政に就いていたので、結局は彼が49歳という若さで早死にしたことに尽きると思います。昔も今も「長生きも芸のうち」で、天皇の外戚となったり、息子たちを宮廷の要職にまで押し上げるのには、それなりの年齢や年月が必要とされるのです。

    彼の死因ですが、朝成の生霊の祟りもあったかもしれませんが、栄花物語の記述からみて、糖尿病で間違いないと思います。そもそも藤原氏には糖尿病の遺伝的素因があり、道隆、道長、伊周なども糖尿病で死亡しています。この遺伝的素因に加えて、伊尹は過飲過食で贅沢三昧の生活を送っていたようだから、糖尿病に侵されたのも当然と言えるでしょう。とは言うものの、伊尹は容貌・学才ともにすぐれ、和歌の才能・豊かな文才・独特の美意識などを有する天才肌の魅力的な人物だったようですから、暴飲暴食を慎めという父・師輔の遺言だけでも守っていれば、もう少し長生きして、何か素晴らしい芸術作品を残した可能性もあり、惜しい人物を亡くした気がします。

    45番歌については、伊尹の人物や境遇から見て、本心を詠んだ歌とは思われないので、コメントする気になりません。柏木がこの歌を詠んだのなら、同情の涙を何粒か落とすかもしれませんが…。

    最後に、前回余談で申し上げた12/5のビリヤード・トーナメント決勝戦の件ですが、お陰様で何とか優勝することができました。12/28の忘年会の席で、吉田茂杯と称する立派な優勝カップをいただけるようなので楽しみにしています。小町姐さんにとってビリヤードは未知の世界とのことですが、取敢えずはWikiの説明をグーグルで検索の上、ご覧下さい。 

    • 百々爺 のコメント:

      ・先ずはビリヤード・トーナメント、栄えある優勝おめでとうございます。やりましたね。準備を怠らず周到な作戦を立て体調管理も万全で戦いに臨んだ結果でしょう。素晴らしい!!
       →来週のゴルフはリラックス、気軽にやるのがいいと思いますよ。。

      ・いくら藤原の勢威で強引にやったとしても皇統がらみの安和の変、精力を使い果たしたのでしょうかね。「もうこれで藤原の世界だ、その筆頭が私、やったぜ!!」ということで安堵してしまったのかもしれません。いずれにせよ人間長生きしなきゃいけません。

      ・死因は糖尿病。そうなんでしょうね。道長(伊尹からみれば甥)が糖尿病(飲水)と言われてる。藤原摂関家には糖尿病の遺伝子があったということでしょうか。ところで糖尿病は美食が原因といいますが、美食と言ったって当時はステーキやお刺身があるわけでなし、どんな物食べてたのでしょうかね。専らお酒とお米、それをたらふく食べる毎日だったのかも。
       →平安時代の食卓、源氏物語にも殆ど出て来ません。貴族と言えど今からみればごく粗末なものだったのでしょうか。

      • 枇杷の実 のコメント:

        「揺れ動く貴族社会」のなかで、師輔が子孫の為に著わした訓戒書「九条殿遺誡」を参考にして次のような記述があります。
        朝食はお粥で一日二食、肉は鳥肉を用い、仏教やケガレ観の影響から牛・馬などの獣は避けられた。魚介類も干したり塩漬けされたもので、新鮮なものは鴨川の鮎ぐらい。デザートは季節の果物や木の実があった。このように貴族の食事は高カロリーではないのだが、当時の日記には多量の水を飲む「飲水病」という病気があったことから運動不足も手伝って糖尿病を患うものが多かった・・。
        藤原氏本流にある人物の享年を調べると、基経56才、忠平(#26)70才、師輔53才、敦忠(#43)38才、朝忠(#44)58才、兼通53才、兼家62才、道長62才であり、伊尹(#45)の49才は5年ほど早いように思われる。豪快で、物事にとらわれない性格で、派手好きであった為か、やはり過飲過食で贅沢三昧の生活ぶりが禍したのでは。食事は質よりも量と云うしね。
        尚、伊尹の息子義孝(#50)21才、道長の兄道隆43才、道兼35才はいづれも天然痘で命を落としている。
        #45歌については皆さん大方の評価通りだと思いますが、この歌の様に孤独とか、嘆き悲しみを詠ってそのムードに酔いしれるのは平安時代の歌の特徴らしいですね。

        • 百々爺 のコメント:

          ・「揺れ動く貴族社会」の貴族の一日からの引用、ありがとうございます。飽食三昧の現代からみると健康食そのものでしょうか。いや蛋白質が足りませんね。それと決定的なのが運動不足、ウオーキングなんてやらないでしょうからねぇ。そもそも何事も神の思し召しの時代ですから自ら健康管理をする意識なんてなかったのでしょう。

          ・藤原一族の享年一覧ありがとうございます。これで見ると勝者と敗者の寿命の差が歴然ですね。

            勝 師輔 53才 - 負 敦忠 39才
            勝 兼家 62才 - 負 伊尹 49才
            勝 道長 62才 - 負 道隆 43才

           やはり長生きしなきゃいけません。

          ・そうですね、平安貴族は嘆き悲しみを詠ってそのムードに酔いしれていたのかもしれません。源氏物語には男たちが声をあげて泣く場面が如何に多いことか。。

  5. 浜寺八麻呂 のコメント:

    小町姐さん

    お褒めに預かり、恐縮します。機敏な活動派で、知識・学歴・感性に優れた小町姐さんからのコメントゆえに、うれしいです。
    古典文学を始めたのが極端に遅いため、少しでも近づこうと思い、勉強をしている次第です。仰るとおり、源氏物語を読み、ブログに参加させていただいたお陰で、すっかり嵌ってしまい、この百人一首も、楽しく、面白く、望外の老後生活を送っています。
    たとえば今読んでいる百合局さんが「貴族の収入」で紹介して下さった杉本苑子の小説「山河寂寥」(ある女官の生涯)も読んでみます。

    源智平朝臣さん

    ビリヤード・トーナメント、優勝おめでとうございます。
    また、このブログでの智平流コメントも興味深く拝見しています。

    百々爺さん

    解説いただいていますが、

    百人一首で「あはれ」が出てくるのは本45番歌と66番歌の2首。意外と少ない。
    45あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
    66もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
     大僧正行尊 

    いや、昨日は書けませんでしたが、まさにその通り、もう少しあって、当然の感ありですね。

    ”あはれ”、”侘び・寂び”は、日本人の、日本中古文学の根源にかかわるKEY WORDと思い、皆さんはご存知で、少し軽いかもと思いましたが、WIKIで”あはれ”を引いてみました。自身の整理が主目的ですが、参考まで、以下引用します。 和辻哲郎の説も面白いです。

    もののあはれ

    もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている[1]。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。

    目次 [非表示]
    1 「もののあはれ」の発見
    2 解釈の一例
    3 無常との関係
    4 脚注
    5 参考文献
    6 関連項目

    「もののあはれ」の発見[編集]

    「もののあはれ」は、江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』などにおいて提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した[2]。江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教思想に少なからず影響を受けた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その儒教的概念や政治理念を前提にして評価され、語られた時期があったが、この本居宣長の「もののあはれ」の発見はそういった介入を否定し、文学作品の芸術的自律性という新しい視点を生み出した[3]。

    宣長は、それまで一般的な他の文学作品同様に『源氏物語』が時代時代の思想風土、政治風土に影響されて、その作品の内在的な美的要素からではなく、外在的な価値観や目的意識から読まれてきたことを排し、歌・物語をその内在的な価値で見ようとし[3]、「文芸の自律性」という契沖以来の新しい文芸観に基づいて、『源氏物語』における「もののあはれ」を論じた[3]。

    宣長は『源氏物語』の本質を、「もののあはれをしる」という一語に集約し、個々の字句・表現を厳密に注釈しつつ、物語全体の美的価値を一つの概念に凝縮させ、「もののあはれをしる」ことは同時に人の心をしることであると説き、人間の心への深い洞察力を求めた[3]。それは広い意味で、人間と、人間の住むこの現世との関連の意味を問いかけ、「もののあはれをしる」心そのものに、宣長は美を見出した[3]。

    解釈の一例[編集]

    ドイツ初期ロマン派の基本的心的態度を、「無限なるものへのあこがれ」と特徴づけ、ニーチェやキルケゴール研究者として知られる和辻哲郎は、本居宣長の説いた「もののあはれ」論に触れて、「もののあはれをしる」という無常観的な哀愁の中には、「永遠の根源的な思慕」あるいは「絶対者への依属の感情」が本質的に含まれているとも解釈している[2][3]。

    無常との関係[編集]

    平安末から鎌倉初期の歌人で、自然を愛し諸国放浪した西行は、『旅宿月(旅路で野宿して見る月)』と題する歌において、「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」<都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった>と詠んだ。これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=暇つぶしでしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である[4]。また、「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」<飽きることなくいつも都で仰いでいた月よりも、 旅の空でながめる月影こそは、あわれ深く思われる>という歌もある[4]。

    月に「あはれ」を見た西行は、幽玄の境地を拓き、東洋的な「虚空」、無を表現していた[5]。西行と歌の贈答をし、歌物語をしていた明恵は、西行が物語った言として次のように述べている。

    西行法師常に来りて言はく、我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。花、ほととぎす、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。花を読むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。紅虹たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。また、色どれるにもあらず。我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。この歌即ち是れ如来の真の形体なり。

    — 「明恵伝」[6]

    脚注[編集]
    1.^ 清水文雄『日本人の心』(比治山大学、1969年2月)
    2.^ a b 和辻哲郎『日本精神史研究』(岩波書店、1926年。改版1971年)
    3.^ a b c d e f 中井千之『「もののあはれをしる」と浪漫的憧憬』(上智大学ドイツ文学会、1989年12月)
    4.^ a b 西行『山家集』
    5.^ 川端康成『美しい日本の私―その序説』(講談社現代新書、1969年3月16日)
    6.^ 喜海『明恵伝』

    参考文献[編集]
    中井千之『「もののあはれをしる」と浪漫的憧憬』(上智大学ドイツ文学会、1989年12月) [1]
    清水文雄『日本人の心』(比治山大学、1969年2月) [2]
    和辻哲郎『日本精神史研究』(岩波書店、1926年。改版1971年)
    川端康成『美しい日本の私―その序説』(講談社現代新書、1969年3月16日)
    Ken Liu“Mono no aware”- 中華系アメリカ人劉宇昆による日本人を主人公としたSF短編小説。2013年にヒューゴ賞受賞。劉は本作の中で「もののあわれ」を“an empathy for the inevitable passing of all things” と説明している。“Mono no aware”by Ken Liu Stainless Steel Droppings, June 16, 2013。

    • 百々爺 のコメント:

      「もののあはれ」wikiの引用ありがとうございます。
       和辻哲郎の「もののあはれ」の解釈、なるほどと思います。

      「もののあはれ」的な感情は人類たるもの万人にあるのかもしれませんが、「永遠の根源的な思慕」「絶対者への依属の感情」は日本人特有のものではないでしょうか。この資質、段々と薄れてきているように思います。源氏物語・百人一首に親しみ「この微妙なもののあはれの世界」を賞玩していきたいと思っています。

    • 源智平朝臣 のコメント:

      八麻呂さま (百々爺&小町姐さま)

      遅ればせながら、ご祝辞ありがとうございます。百々爺や小町姐さまに対しても、この場を借りて、祝辞の御礼を申し上げます。「練習は裏切らない」という言葉を信じて、3年余り熱心に練習に励んできた成果が出たようです。それに加えて、幸運にも恵まれると、こんな嬉しいことに出くわすのですから、ホモ・ルーベンス(遊戯人)の生活はやめられません。

      ビリヤードに比べて、智平流コメントの多くは、百々爺の解説が掲載されてから慌ててネットでコメントのネタを探し出し、適当に味付けして投稿したものなので、浅薄でお恥ずかしい限りです。八麻呂さんのように、もっと古典や歴史の勉強をしなくてはと思うのですが、ついついスポーツや遊戯が優先になってしまいます。

      我が郷土の偉人である本居宣長による「もののあわれ」の発見について説明いただき、ありがとうございました。11/9の41番歌のコメントの余談で記したように、三重県松阪市には本居宣長記念館がありますので、機会があれば是非ご訪問ください。

      ところで、何故、宣長が「もののあわれ」という源氏物語の本質を理解できるようになったか、ご存知ですか。これについては、大野晋博士が宣長の日記等の資料を綿密に調べて辿りついた推論があります。ちょっと長くなりますが、推論の要旨を記せば、「宣長には一目惚れした女性タミがいたが、彼が京都遊学中にタミは結婚してしまった。宣長は松阪に帰ってから、3年近くは縁談を断り続けたが、母を安心させるため、ミカと結納を交わして結婚した。ところが、結納後にタミの主人が死んだことを知り、悩んだ末、結婚の3カ月後にミカを離縁し、その1年余りのちに、タミと結婚した。この体験を通じて、宣長は最愛の女性タミを失うことが如何に悲しく侘しいかを知る一方で、その後、ミカを離縁までして、タミと結婚すると、夢にまで描いた女性と現実に結ばれる喜びが如何に大きく、男性の生存の根源にかかわるものであるかを知った。そして、この体験が宣長に源氏物語の本質を読み取る目を与えた。」というものです。

      百々爺がこれを読むと、「けしからん」と怒りそうな話ですが、さらに詳しくは、例えば、次のURLをご覧下さい。
      ①小説・「宣長:恋と結婚」 http://ameblo.jp/norinaga-suzunoya/entry-10586247356.html 
      ②谷崎潤一郎と本居宣長と『源氏』 http://sksrg.blog82.fc2.com/blog-entry-70.html このブログの途中「しかし当時は・・・」からが宣長の恋と結婚に関連した説明。

      • 小町姐 のコメント:

        智平朝臣さま
        紹介のURL拝見しました
        びっくりぽん!!衝撃的なwikiの記事。
        わが郷土が輩出した偉人、本居宣長の知られざるエピソード。
        2年前に宣長記念館を訊ねた時にはそんな事は露知らずでした。
        大野晋氏の綿密な資料によるものならばほぼ間違いのない事実なのでしょうね。
        宣長の恋と結婚は、宣長の「もののあはれ」論に影響を与え、そして「人の真の姿」への追究という宣長の学問の基本姿勢へもつながっていくと言う本質を改めて見たような気がします。

      • 百々爺 のコメント:

        ホモ・ルーベンスの生活、「智世の春」を満喫されてるようで誠に結構です。そして勝利という美酒を得られれば言うことなしですよね。。

        本居宣長が「もののあはれ」の本質に辿り着けた理由、ご紹介ありがとうございました。ネット読み衝撃を受けました。ほんとかいな、という感じです。一晩考えました。以下感想です。

        ・大野晋先生の推論はわかりましたが本居宣長本人が言ってる訳ではありませんよね。一目ぼれ、離婚、結婚を通じて「もののあはれ」を知ったなんてのは後付けでしょう。

        ・宣長がミカさんを離縁した理由が小説の通りならトンデモナイ話です。離縁されたミカさんのその後はどうなったのでしょう。結婚後3カ月で里に帰された若い女性の行末を考えてください。「もののあはれ」ではなく「ミカの哀れ」ではないでしょうか。ミカさんは一生宣長を恨み呪い続けたのかもしれません。宣長も「もののあはれ」を知る男なら一生罪の意識に苛まされたのではないでしょうか。
         →ミカさんはその後宣長みたいな身勝手な男でなく誠実な男と再婚し幸せになったのかもしれませんが、それはあくまで結果論でしょうから。

        ・源氏物語の時代と宣長の時代では結婚の形態も異なります。時代時代にあって許されることと許されないことがある。宣長の場合は許されないことでしょう(それに源氏物語で源氏は一旦結婚した女性は責任を持って面倒みてたじゃないですか)。
         →現代の民法では当然離婚原因は見当たらずミカさんが「NO」と言えば離婚は認められなかったでしょう。

        ・逆に我が宣長先生がそんな身勝手なことする筈がないのでは。真相はもっと他のところにあるのかも。ミカさんが通常の結婚生活を送るに何らかの決定的な欠陥があったとか(精神障害とか)、二人の性格が全く相容れずむしろミカさんの方から里に帰りたいと言い出したとか、、。ミカさんのその後が知りたいです。

         →津と松阪が舞台になるこの話えらく身近に感じます。ありてい言えば小説の通りなのかも知れませんがそれで文学論を語るのには違和感を感じます。

  6. 小町姐 のコメント:

    智平朝臣さま
    ビリヤード・トーナメントの優勝おめでとうございます。
    吉田茂杯の優勝カップ獲得楽しみですね。
    Wikiの説明さらりと読んでみました。
    れっきとしたスポーツで球技である事。
    そしてビリヤードから分化、派生したゲームの一つがパチンコであるとのこと。
    相当の精神力、集中力をが要求されマナーもそれなりに厳しいことがわかりました。
    洋画を見ているとよくビリヤードの場面が出てきます。
    何でも知っておくことは悪くはないですね。

  7. 文屋多寡秀 のコメント:

    昨夜のNHK[恋する百人一首」拝聴しました。のっけから山口案内人のパワーに圧倒されまくりでした。壇密のたおやかな受け答え、いいですねえ。痺れますねえ。片や、恋の案内人、大久保女史の歯に衣着せぬ歯切れ良いコメントは的を外さない。ゲスト講師の声(定家の声)が男の本音を解説・代弁してるんですが、もう少し場をリードしてもよいような歯がゆさを感じます。

     逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり(敦忠)

    当時の社会は「一夫一妻多妾制」とのこと。これは正に言えて妙ですね。
    なを、若い役者の大根芸は戴けませんでしたが、毎週月曜日全8回、再放送もあるようです。

    45番 伊尹の歌。少々わかりにくい歌ですね。藤原伊尹、詠むのまで難しい。伊藤さんが二人いるみたいで・・・・。なんかピンと来ませんねえ。私は意味なく死んでしまうのであろうか、と充分に悲観的な歌である。親しくしていた女が、つれなくなって、いっこうに会ってくれないのでと、そえ書きにはある。要するにふられた男の嘆き節であり、もう世の中が全く闇。偉く沈み込んでいる状態。
    しかし、摂政や太政大臣を務め、華麗なる人生をきわめた人物がこんな歌詠みますか?。若い時の歌にしても、やけに弱気で、後半生の栄光にそぐわない歌であります事よ。まあ世間では、こわもての男が「恋には弱い男泣き」なんてケースもないではありませんがねェ~。

    • 百々爺 のコメント:

      ・NHK「恋する百人一首」見聞記ありがとうございます。私にはどうも頂けませんでした。王朝の恋は王朝時代に身をおいて味わわなければ実も蓋もありません。現代に投影すればするほど訳の分からないものになってしまいます。トーンも凡そNHKらしからぬ品位・品格に欠けたもののように思えました。ちょっと視聴者をなめた番組のようにも思えましたが言い過ぎでしょうか。

      ・「伊尹」確かにややこしいですね。伊藤さんが二人、ホントそうですね。藤原に「伊」のつく名前は道長の甥にあたる「伊周(これちか)」=54番で出てくる儀同三司、くらいでしょうか。「尹」なんてのはありません。文字変換も大変ですもんね。
        →失礼しました。智平さんコメントにある師尹(師輔の弟、伊尹の叔父)がいました。

       こわもての男の「恋には弱い男泣き」、謹厳実直な男が女性にのめり込む。世間にはよくありそうですね。私にはどうも下半身がらみに感じられて寛容になれません。

       45番歌みたいな歌を詠む伊尹、ひょっとしてM男だったのかもね。

      • 小町姐 のコメント:

        先ほどNHK「恋する百人一首」の録画みました。
        Eテレにしては教養のない番組ですね。
        あの山口・・・何とやらの甘ったるいしゃべり方は何ですか。
        いい大人に対する話し方ではないですね。
        実も蓋もない!!よくぞ言ってくれました。
        余韻余情のかけらもありません。
        もう一回きりでお終い、後が知れます。

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