46番 平安中期の革新歌人曽禰好忠、行方も知らぬ恋の道

王朝の恋シリーズから離れ「曽丹」と軽んじられる曽禰好忠の登場です。どうも一筋縄ではいかない人のようです。偏屈孤立の人と片付けずじっくり考えてみましょう。

46.由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな

訳詩:    由良の門をゆらゆら渡る舟人は
       櫓をなくして波に漂う
       ああ その行方も知らぬさまよいに似て
       行方も知らぬ私の恋は
       由良の門の波に漂う 道もなく

作者:曽禰好忠 生没年未詳 10世紀後半の人 出自未詳 丹後掾であった
出典:新古今集 恋一1071
詞書:「題知らず」

①曽禰好忠 曽禰氏は物部氏から派生する一族。もはやマイナー氏族だったろう。
・生没年未詳では困ります。見当だけでもつけてみましょう。
(ネットの千人万首によると)
  生年923か? 諸歌合せに名前があり1003道長の歌合にも出ている。
  →これだと80才でまだ存命。何れにせよ円融~花山~一条朝で名を残した歌人だった。

・官位は六位、長く丹後掾を務めた。曽丹後、曽丹と呼ばれる。
 →悪意が感じられる。いじめであろうか。
 →でも官位六位(正か従か不明)は六位、無位ではない。
  33紀友則、34藤原興風、37文屋朝康、40壬生忠見 彼らが六位 まあまあであろう。

・丹後掾を長く務めたというのが不審。普通はローテーションで転勤を繰り返すのだろうに。

・その他官職も私生活(女性関係、家族のことなど)も一切書かれていない。家集の歌の贈答なんかにヒントがあるのかもしれぬが。。。

・一つ有名な逸話があるのみ(大鏡・今昔物語)
 985年正月 円融上皇が紫野に御幸。歌人に和歌を詠ませ鑑賞する催しがあった。
 この時召されてた歌人は平兼盛、清原元輔、大中臣能宣、源重之、紀時文の5人。
 曽禰好忠は呼ばれていないのに入り込み人々の顰蹙をかってつまみ出された。
 好忠は「歌人召集と聞いてやってきた。自分は居並ぶ歌人たちに劣るものではない!」と抗弁した、、、とのお話し。 
 
 →説話にはデフォルメがつきもの。いくら何でも呼ばれてないのに出かける馬鹿はいないでしょう。主催者側の手違い勘違いか、悪意をもって嵌められたのか。
 →他の歌人たちに劣るものではない! どう言ったのか知らないが少し下手に出て「私目もそれなりには詠めると思いますのでどうぞ一つ聞いてやってください、、」と懇願すればよかったのに。

②歌人としての曽禰好忠
・拾遺集に9首、詞花集(崇徳院勅、藤原顕輔撰)には最多の17首、勅撰集合計90首
 →これってすごい。単に嫌われ者の偏屈爺さんではなかったようだ。

・一首で表現しきれないテーマを百首の連作で詠む、これが百首歌。その手法を初めて編み出したのが曾禰好忠(960年、天徳歌合の年である!)。百首歌はその後複数歌人で詠まれたり、一人に百首歌を出させて勅撰集選定の資料とするようなことも行われた。
 →新しい事に挑戦するって素晴らしい。ファーストペンギンって今朝の連ドラに出て来た。

・百首歌の後、360首を1年間に割り当てる新形式の毎月集を発明した。
 →歌集の形式も歌の内容(言葉、対象)も新しく。革命的だけに疎まれもしたということか。

・曽禰好忠の和歌史上における位置づけについて(「日本文学史」小西甚一より引用)

 和歌は、拾遺集時代すなわち十世紀の末から十一世紀の初めにかけて、ひとつの頂点に達したといえる。古今集時代に出来あがった智巧的表現は、洗練に洗練をかさね、これ以上どうしようもないというところまで磨きあげられて、行き詰まりの形となった。この行き詰りを打開するために、両様の試みがなされ、そのひとつは、きわめて平淡な表現のなかに智巧性を溶解してしまい、やすらかな自然さにおいて良さを求めようとするものであり、他のひとつは、これまでに無かった表現を自由に駆使して、新鮮な把握をめざすものである。前者は藤原公任によって代表され、後者は曽禰好忠がひとりで代表する(「日本文学史」小西甚一)

 →万葉集に傾倒し古語を用いたり、斬新な歌材を詠んだり、、、革新歌人であった。
 →それだけに保守的な歌壇からは偏狭者扱いをされる。万事につけよくあることである。
 →でも平安後期の新派歌人藤原顕輔らからは評価されるにいたる。よかったな、ソタン!

 【蛇足】
  「日本文学史」(小西甚一・講談社学術文庫)200頁余の小冊子ながら内容は素晴らしい。ドナルド・キーンさんがこの本と出会えて目が開かれたと絶賛している。中古本でご購入あれ。

・当時革新的とされた好忠の歌をピックアップしてみましょう。
  三島江につのぐみわたる蘆の根のひとよのほどに春めきにけり(後拾遺集)
  榊とる卯月になれば神山のならの葉がしはもとつ葉もなし(後拾遺集)
  わぎもこが汗にそぼつる寝たわ髪夏のひるまはうとしとや見る(好忠集)
  なけやなけ蓬が杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき(後拾遺集)
  岩間には氷のくさびうちてけり玉ゐし水もいまはもりこず(後拾遺集)
  かやり火のさ夜ふけがたの下こがれ苦しやわが身人しれずのみ(新古今集)
  →確かに観念・抽象的な古今調とは違い万葉の匂いがするように思えるがいかがでしょう。

③46番歌 由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
・「梶を絶え」 櫂をなくして
 「梶緒絶え」 櫓をつなぐ綱が切れて
  →何れにせよ舟人が舟をコントロールできなくなって、、、でよかろう。

・上句が下句(行方も知らぬ恋の道かな)を導く序詞
 →具体的で豪快な比喩、上品なお公家さまの歌ではない感じ。

・「由良の門」はどこか。万葉以来の歌枕紀淡海峡の由良か。曽丹後が長らく赴任してた丹後宮津近辺の由良か?
 →紀伊の由良と考えるのが多数説(大岡・田辺・白洲・島津・一夕話・定家も)のようだが、丹後も捨てがたいのでは(由良川は丹波~福知山~宮津市~若狭湾と流れる一級河川)。

④源氏物語との関連
 さて、困りましたね。何か関連したことないでしょうか、、。
 やはり舟に揺られてということになると浮舟でしょうか。

  橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ(浮舟@浮舟17)

  →匂宮に抱かれて川を渡る浮舟、、、「行方も知らぬ恋の道かな」、、、期待と不安が交差したことでしょう。

〇〇〇松風有情さんから46番歌絵を投稿いただきました〇〇〇
 http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/10/KIMG0234.jpg

〇〇併せて有情さんから「匂宮に抱かれて川を渡る浮舟」の絵を投稿いただきました〇〇
 http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/10/KIMG0237.jpg

 有情さん、ありがとうございました。コメントもよろしくお願いします。

【お知らせ】
ブログ管理人である在六少将どのに談話室で爺が挙げている推薦図書を「お勧め本一覧」として右側欄に載せてもらいました。また「日本文学史」も下記にて紹介させていただきます。日本文学・文藝の流れを整理分析するのに格好のガイドブックだと思います。

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46番 平安中期の革新歌人曽禰好忠、行方も知らぬ恋の道 への25件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    恋歌には違いないけど雰囲気的には今までとはがらりと趣が変わります。
    38番~45番までいろいろな恋の形の歌を充分に味わい楽しませていただきました。
    そこへもって今回は名前もあまり知らない曾禰好忠。
    百々爺さんの解説で人物像がおぼろげながらも浮かび上がってきます。
    曽禰にとっての恋はどんな恋だったのか知る由もありませんが「ゆくへもしらぬ」と詠んでいる以上思うに任せぬ恋の道なのでしょうね。
    この人も人物的にはいろいろ批判が多い人らしいですが歌の道には長けていたようですね。
    エピソードにも事欠きません。

    恋を詠っていながら今までと趣が異なるのはやはり「由良の門」が効いていますね。
    舵を失い漂う舟がイメージされるからでしょうか。
    その不安定な舟とこの先どうなるかもしれない恋の不安をうまく例えていると思います。
    ここは他の門ではなく「由良の門」でなくてはなりません。
    由良のゆらゆらと恋の揺らぎ(ゆらゆら)が上手く掛かっているのがユニークで新しい感じがします。
    百々爺さんが揚げて下さった歌の他にも
       起きて見むと思ひしほどに枯れにけり露よりけなる朝顔の花(新古今集343)
    この歌が方丈記序文
     その主と栖と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず
    儚いもののたとえの典拠の一つになっている由。(カルチャーの講師による講義から)
    他には秋の虫を印象深く詠じた歌として百々爺さんが紹介の
       なけやなけ蓬が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞかなしき(後拾遺集)
    きりぎりすはコオロギのことでしょうね。
       人は来ず風に木の葉は散りはてて夜な夜な虫は声よわるなり(新古今集)
       虫の音ぞ草むらごとにすだくなる我もこのよは泣かぬばかりぞ(好忠集)
    秋の小さ虫に寄り添った歌として印象に残ります。
    やはり今までの古今調とは歌風が変わります。
    没してより後により評価された歌人との事。
    これも又他の世界ではよくあることでこうして百人一首に残り曾丹と嘲笑われたとしても面目躍如ではないでしょうか。
    小西甚一 日本文学史読んでみます。

    松風有情さま
    46番歌絵、あわせて浮舟の絵ありがとうございます。
    波に漂う43番歌と浮舟が重なります。
       由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
       橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
     
    まさに浮舟と匂宮は「梶緒絶え」 櫓を失くして流離う二人ですね。

    • 百々爺 のコメント:

      ・由良の門、ゆらゆらと恋の揺らぎがユニークですか。なるほど、これまでの王朝の恋とは感じが違いますね。王朝の恋は真面目一辺倒、何が何でも一直線で余裕がない。源氏の藤壷への恋、柏木の女三の宮への恋など正に命を懸けた一途な恋でちょっと現実からは遠い気がします。

       「行方も知らぬ恋の道かな」、考えてみると恋って一直線に進むものではなく道に迷い行きつ戻りつしながら二人で地道に育んでいくものじゃないでしょうか。その点46番歌は正直だと思います。

       →匂宮と浮舟の恋は両人にとって「行方も知らぬ恋の道」だったのかも。

      起きて見むと思ひしほどに枯れにけり露よりけなる朝顔の花
       ご紹介ありがとうございます。方丈記序文、読んでみました。なるほど露とともにはかないものの象徴としての朝顔の花が挙げられているのですね。鴨長明は曽禰好忠からすると200年くらい後の人。好忠のこの歌は相当有名だったのでしょうね。いい歌だと思います。

       源氏物語の朝顔の姫君のことも思い出してみました。
      源氏 見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん
      朝顔 秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔
       →お二人の恋は最初から最後までチグハグに感じました。

      ・好忠が生きた時代は「梨壺の五人」が後撰集を選んでいた時代。後撰集は古今集に漏れた古今調の歌を選び出してた訳ですからそんな時代に革新を唱える好忠が受け入れられなかったのも無理はないところでしょうか。

  2. 松風有情 のコメント:

    46番歌絵 
    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/10/KIMG0234.jpg

    「匂宮に抱かれて川を渡る浮舟」(源氏物語 浮舟)
    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2015/10/KIMG0237.jpg

    師走の絵画投稿で今年の描き納めです。画材も一旦しまい年賀状造りをし、残る2つの忘年会を楽しんで大晦日を迎えます。

    今回46番歌絵と併せて源氏物語の浮舟をアップさせてもらいました。
    構図的には同じですが由良の地名が残る丹後の海は流れも速い海峡vs源氏物語の浮舟では宇治川の静かな流れを行く二人、その対比が面白いので今回両方を添付しています。

    ところで八麻麿さんはじめ皆さまの「もののあわれ」の由来、談義は面白く参考になりました。
    視点は違いますが、先日の朝日新聞日曜版に同じ、江戸時代の絵師ブームが今来ているとの記事がありましたので紹介します。
    西洋画家達に少なからず影響を与えた江戸絵画に年齢を重ねるにつれて引かれていく人が多いとか。
    1640人のアンケート複数回答の結果、人気絵師ランキングは
    1位 葛飾北斎 992
    2位 歌川広重 666
    3位 尾形光琳 603
    4位 俵屋宗達 541
    5位 喜多川歌麿 384
    6位 伊藤若冲 375
    7位 円山応挙 354
    8位 東洲斎写楽 281
    9位 狩野永徳 234
    10位 菱川師宣 218
    以下は長谷川等伯、与謝蕪村、狩野探幽、酒井抱一、歌川国芳など20位までの記載ありました。
    浮世絵と琳派とは各々楽しみ方は違うでしょうが、まぁ妥当なランキングだと思います。
    個人的には庶民をさりげなく風景画に入れた構図の歌川広重の絵が好きです。

    • 浜寺八麻呂 のコメント:

      江戸時代の人気絵師ランキング、興味深くよみました。
      有情さんは、広重が好きと、また仰るとおり、ランキングもそれなりに妥当だと思いますが、小生は、雪舟五代とも名乗った長谷川等伯がダントツに好きです。特に松林図は、日本画で、一番好きな絵です。

      11月に北陸に行ったことはこのブログに書きました。羽咋の千里浜に泊まりましたが、この浜辺の松林が、普通の松と異なり、細長く高く伸びており、枝が本当に短い松で、浜辺で冬の風に揺れている様は、等伯の絵に出てくる松林のようで、感激して帰ってきました。
      また、以前、等伯が生まれた七尾に行き、石川県七尾美術館で等伯を見たこともあります。

      等伯ファンの八麻呂より

      • 小町姐 のコメント:

        松風有情さんのように絵を描く才能は全くゼロに等しい小町姐ですが絵画鑑賞は洋の東西を問わず日本画、西洋画とも好きです。
        大学の通信教育を受けていた時に美術のレポートの課題で江戸時代の美術の特徴を論述し有名作品を一点挙げてそれを解説せよとの課題がありました。
        今そのレポートを引っ張り出して読んでみましたが大層お粗末なもので目も当てられません。
        デッサンの実技に至っては困り果て連れ合いに描いてもらいました。
        その評価は「陰影強弱をしっかり描くともっと良くなる」でした。
        桃山から江戸にかけて著名な絵師が多く活躍しましたが私はやはり琳派、尾形光琳が好きです。

    • 百々爺 のコメント:

      有情さん、46番絵の投稿ありがとうございます。すっかり定着してきましたね。構図決めから完成まで手順がルーテイン化してきた感じですがいかがでしょう。46番絵もパッと見てすぐ分かる、いい絵だと思います。

       →今年はこれまで4番田子の浦、9番小野小町、17番ちはやふる、26番小倉山、35番人はいさ、42番末の松山、46番由良の門 それに襖絵(竹林に猫)と今回の「匂宮と浮舟」。合計9枚投稿いただきました。ご苦労さまでした。来年もいっぱい画いてくださいね。

      ・江戸絵画についてのご紹介ありがとうございます。浮世絵(春画も)ブームのようですね。みなさんの絵画論議も興味深く拝読させてもらっています。まさに談話室、話に花が咲き嬉しいです。

       私自身は絵画は全くの不調法でコメントはできませんが一つ感じたのはここでも貴族公家(武家も含み)の流れを組む御用画家と一般大衆に根ざした庶民派画家とのせめぎ合いがあるのではと思いました。 

  3. 浜寺八麻呂 のコメント:

    この歌、ゆらゆらとゆっくりと揺れる恋を歌っているようで、切羽詰った恋の歌が多かった38-45番歌に比べ、いいんじゃないかなーと思い、好きな歌です。

    WIKIによれば、曽禰好忠は、平安後期になり、再評価されたとのことですが、定家もこの歌をちゃんと選んで、さすがと思います。百首歌を作ったことも影響したように思えます。

    既に、百々爺や小町姐さんが古今調とは異なる歌と引用されていますが、小生も新しい調べを感じさせてくれると思う歌を、千人万首からいくつか:

    荒小田のこぞの古跡の古よもぎいまは春べとひこばえにけり(新古77)
    ねやのうへに雀のこゑぞすだくなる出でたちがたに子やなりぬらむ(好忠集)
    花ちりし庭の木の葉もしげりあひて天照る月の影ぞまれなる(新古186)
    あぢきなし我が身にまさる物やあると恋せし人をもどきしものを(後拾遺775)

    爺が書いてくれた「日本文学史」小西甚一より引用は、勉強になりました。

    ところで、松風有情さんの絵を見れません。見られるように修正可能ですか。

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうですね、特に45番歌は女性に振られてついには憔悴死してしまうような切羽詰まった歌で味わう方もちょっと疲れ気味でしたので「ゆらゆらと揺れる恋」が来てほっとした感じもします。

       考えてみれば恋だってなるようにしかなりませんもんね。どんな場面になっても「世話ぁない」ということでしょう。ほんのりと徐々に行方を探りながら恋の道をたどっていく、その方が現実的だと思います。

      ・千人万首からの引用ありがとうございます。自然を詠んだ歌も恋を詠んだ歌も確かに古今調とは違う新鮮味を感じます。

      (松風有情さんの絵、見れるようになりましたか。どうもうまく載せられないようで在六少将さんのヘルプを得ています)

      • 浜寺八麻呂 のコメント:

        有情さんの絵、見れるようになりました。在六少将さんもご協力ありがとうございます。

        先般会った際に、話しましたが、有情さんの絵の書、 失礼ながら、最近絵にもしっくりと調和し、美しくなったと思います。

  4. 在六少将 のコメント:

    ここにきて俄然我が意を得たりという歌人に出会ったような気がします。
    これまではどちらかと言えば、私には表層的な言葉遊びの要素が強くて、「あ、そ」てな感じで馴染めなかったのですが、平安時代にこのような俳句の花鳥風月にも通じるような人間や自然を素直に詠んだ歌人がいたことに救いを感じました。
    46番歌はともかくおいといて、
    なけやなけ蓬が杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき
    などいいですね。

    「由良の門」はどう考えても丹後でしょう。何せ「門」ですからね。
    この地方では昔から水門や橋は祭の要素として欠かせない地域なのです。海と神との交わりの強い土地です。
    紀州のだだっ広い太平洋に面した海岸線(いくらかリアス式の地域もありますが)では、「門」のイメージがどうしても浮かびませんし、何せ神と言ったら熊野ですからね。海の神ではありませんし。
    てなわけで、何の文献も当たったわけではない、あくまでもアバウト人間の私見として「丹後」説をとりたいのであります。

    • 百々爺 のコメント:

      ・コメントありがとうございます。曽禰好忠には共鳴されるだろうと思っていましたよ。我が意を得たりですか。46番歌も確かに今までのとは一味違いますもんね。それとご指摘の「きりぎりす」、ガラリ違いますね。

       これぞ平安のルネッサンスでしょうかね。小西甚一の「俗→雅→俗雅」論からすると余りに雅になり過ぎた古今調から少し復古して万葉調の俗に振り子が戻ったということになりましょうか。当然異端として反発を受けたことでしょう。

       →がんじがらめの決まりが出来て形式に陥り一本調子になってしまうと自由闊達さは失われてしまう。すると革新を求める先駆者が現れる。どこの世界も同じですね。ひょっとすると現代の俳句界にも言えるのかもしれません。

      ・「由良の門」、丹後説。私もそう思います。これも歌枕を後生大事にする守旧派からすると「由良」は紀州でしかあり得ないということになります。好忠は自分の馴染の丹後の「由良」と古来の歌枕紀州の「由良」がぶつかり合うことを知った上で敢えて「由良の門を~~」と謳い上げたのかもしれません。さあ、みなさん、どっちに思われますか、、、なんて呟きながら。

  5. 昭和蝉丸 のコメント:

    いつも談話室は、投稿も一緒に読みたいので、2,3日して
    水曜か木曜に開けるのですが、今日は週末の忘年会疲れもあり、
    一日在宅だったので先ほど(pm4時)開けてみたら、
    何と!既に投稿がイッパイ! 小町姐さんなどは、何と!
    8時47分に投稿されているでは!!!   
        \(◎o◎)/!
    それに各位の投稿の内容、おまけに今回は絵師まで・・・・
    いやぁ~ 凄いなぁ。 
    今回は、NHK「趣味でトキッ!」のコメントを
    書く積りでした・・、止めます・・・・。
    桂文楽ではありませんが、 ”出直してきます” 。
        

    • 百々爺 のコメント:

      忘年会続きでお疲れ、さもありなんです。
      飲み過ぎ食べ過ぎに注意しましょうね。

      えっ、出直しって? まさか。
      行くも帰るも逢坂の関、持ち前の毒舌的コメントお待ちしています。

      (絵師まで登場、いいでしょう。談話室益々多種多彩になってきて
       嬉しい限りです)

  6. 百合局 のコメント:

     この46番歌は私の好きな歌の一つです。
     同時代の貴族たちからは浮いていたとしても、後世の歌人からは高く評価されたのだから、良しとしましょう。

    うとまねど誰も汗こき夏なれば間遠に寝とや心へだつる」(好忠集) なんて句には思わず笑ってしまいました。今に通じるわかり易くて面白い歌ですね。川柳になりますね。

    「日本文学の歴史」(角川書店)に次のような記述がありました。
    「好忠の和歌には破格の用語や語法によって、土俗のにおい、生活の底を新鮮に表現したものが多い。」「~地方生活のにおいがつきまとっている。不遇な身分から発する詠嘆がある。彼は恵まれない職業歌人たち、中下層貴族の生活と意見とを代弁したのである。」 わかり易い説明だと思いました。

     謡曲『玉葛』にある「浮き舟の楫を絶え綱手悲しき類かな」は、この46番歌
    由良の門を渡る舟人楫を絶え行くへも知らぬ恋の道かな」に拠っています。 

    • 百々爺 のコメント:

       うとまねど誰も汗こき夏なれば間遠に寝とや心へだつる

      なんて歌があるのですね。本稿で挙げた下記の歌もそうですが「汗」など王朝の歌(それも女性を登場させての歌)には一番相応しくない言葉でしょう。源氏物語なら近江の君あたりに詠ませて無知無教養を皆でからかう材料にするにはいいかも知れませんが。

       わぎもこが汗にそぼつる寝たわ髪夏のひるまはうとしとや見る

      地方生活に根ざした土俗のにおいのする歌、確かに曽禰好忠以外の歌人には決して詠めなかったのだろうと思います。

  7. 松風有情 のコメント:

    小町姐さん
    尾形光琳の「紅白梅図」が熱海のMOA 美術館に確か常時展示していたと思います。長い長いエスカレーターのトンネルを上がった最上階に黄金の茶室を抜けたホールにありました。
    美術館の造り自体も普通ではありませんので不思議な体験を感じるスポットです。

    東京の根津美術館には「燕子花図」があるとのことですが、こちらは常設ではなくたまに公開されるとか、、
    ご参考まで

    • 小町姐 のコメント:

      松風有情さま
      尾形光琳の紹介ありがとうございます。MOA美術館の常設、記憶にとどめておきます。

      好きな絵画、音楽、映画鑑賞、今年はほぼ計画通り進んでいましたが唯一見逃した展覧会があります。
      それは京都国立博物館の琳派誕生400年記念特別展覧会と 京都文化博物館の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリ』の戦い展」です。それに加えて百々爺さんはじめ皆さんの母校恩師、大坂での帰国絵画展を兼ねて一日ですべてを鑑賞しようと試みたのですが日程がかみ合わずあきらめた次第です。
      欲張りすぎたのが原因です。
      今年はもう一つクリスマスコンサートを残すのみ。
      来年も談話室を彩る心に響く絵を期待しています。
      それと童謡絵のほうもね。

  8. 枇杷の実 のコメント:

    この歌、今までの恋歌の様に嘆き悲しむと云った技巧的、M的な歌とは違いますね。日頃、眺める地元の由良の河口で熟練した船頭でさえも潮の流れをうまく操れない様子をみて、それを上句に引用し下句で恋とは相手次第、何度経験しても思い通りにはいかないものだと諭しているような歌詠みです。
    好忠なる人物、奇行の目立つ変り者とされるが歌の実力は確かで、身近な題材・新規な言葉を駆使して、多くを歌集「好忠集(曾丹集)」に残し革新歌人として平安末期の歌人に大きな影響を与えるとか。正岡子規も評価しそうな歌詠みなのか。
    同じく(千人万首)から
     何もせで若きたのみにへしほどに身はいたづらに老いにけらしも
     うとまねど誰も汗こき夏なれば間遠に寝とや心へだつる
     なが日すらながめて夏をくらすかな吹きくる風に身をばまかせて

    「楫をたえ」の表現について、楫を失う・楫を捨てる・楫がなくなる、と解釈をめぐる論争があるとか。
    松風有情さんの絵は本当に上手いですね。歌題が一目で感じとれる挿絵として、毎度面白く拝見しています。この歌の絵を見ると舟人(船頭)は好忠やにみえて、荒波に舵を取られたというよりは、若いカップルの煮え切らない恋行きに業を煮やして、わざと舵を投げ捨て、さ~世間は甘くない、シッカリしないと荒波にの飲み込まれるぞと年寄りの冷や水・・と考えるとこの歌への興味も一段と深くなります。

    • 百々爺 のコメント:

      またまたユニークなコメントありがとうございます。

      ・「楫を絶え」について「楫を失くす」と「楫緒(櫓をつなぐ綱)が切れる」の論争があるとは読みましたがその中に「舟頭がわざと楫を投げ捨てる」なんて解釈もあるのですか! びっくり、ぽんですね。でも面白い。思わずパソコンに向かい笑ってしまいました。

      ・歌の詠み手(恋の行方を案じている者)は女性と舟に乗っている男だとばかり思ってましたが枇杷の実説のように船頭が詠んだというのも面白いかも。この船頭、カップルからどやしつけられたのか、それとも苦難を二人で乗り越える機会を与えてくれたって感謝されたのか、、、。

      ・有情さんの絵よく見ると船頭は好忠で楫を投げ入れ「やったぜ、ベイビー!」って五郎丸ポーズをしているように見えるじゃないですか。傑作です。

  9. 文屋多寡秀 のコメント:

    まさに百花繚乱の賑わいですね。談話室は芸術論全般に広がってきてますね。
    もう書くことなんか微塵も残ってないとは言うものの、なんか筆の向くまま、はじめてみます。

    そう、巷には何処からともなく第九の歌が流れてきます。
    私の属する街の合唱団も追い込みの練習に入ってます。何の気なしに指揮者が棒を振ってるだけのように見えますが、ちょっと気の利いた指揮者の手にかかれば、見違えるように化けますね。これは本当に”ビックリポン”です。

    ベートーベンの第九。初めから今のような体裁ではなかったようで、高い評価でもなかったようです。今のスタイルになったのはワーグナーの存在が大きいとのこと。
    彼は、「ベートーヴェンの時代は楽器が未発達」であり、「作曲者は不本意ながら頭に描いたメロディ全てをオーケストラに演奏させることができなかった」と考えたのです。そして「もしベートーヴェンが、現代の発達した楽器を目の当たりにしたら、このように楽譜を加筆・改訂するだろう」という前提に立って、管楽器の補強などを楽譜に書き込んだ。

    徹底的なリハーサルの効果もあり、この演奏会は公開練習の時から満員となり、本番も大成功に終わった。もちろん、興業的にも大成功を収めました。とはwikiからの抜粋。

    この46番歌も、そうした時代のさまざまの評価を経て、今の位置を築いたのではないでしょうか。アウトドアー派の多寡秀には得も言われぬ響きの歌に思えます。自然にして飾らない感情表現に痺れます。

    身分は低く、人柄は円満ではなかったが、歌にはきらりと光るものがありますね。とにかく船のコントロールが失われてるのです。行方ははかり知れません。同様に人の世の恋にも、この先どうなるのか、計り知れない瞬間があります。本気の恋は怖いですね。どんどん深みにはまってしまいます。人の心は変わるものだし、真剣な恋ほど「行方も知らぬ恋の道かな」なのであります。不肖私にはそんな経験はありませんが。

    • 百々爺 のコメント:

      いやあ、賑やか。正に談話室、満員御礼です。話が広がるって素晴らしい。芸術もスポーツも芸能も話題になること何でも話しましょう。何だか飲み会のノリみたいになってきて楽しいです。

      そうなんですか、指揮者ってそんなにすごいんですか。私にはよく分かりませんがこれも演奏者の心に訴えるんですかね。イレブンに動きを指示するサッカー監督に似てるんでしょうか。「喜びの歌」頑張ってください。

      恋の道に限らず人生の道も自分の力では何ともできない局面も出てくる。しばらく流れにまかさざるを得ない場面が。でもずっと流されっぱなしでは情けない。チャンスを見て自力で這い上がり得たいものをきっちりいただく。これこそ充実した人生と言えるのでしょう。

       →楫を失くしたこの場面、さあ、「あなたな~ら、どうする?」

        流れが止まった瞬間に衣服を脱ぎ捨て抜き手を切って岸に泳ぎ着き楫を持って泳ぎ返し、彼女を無事救出する。さすればもう彼女はあなたのものでしょう。

        ~~♪かの島山に泳ぎゆき 泳ぎ返せし 人ありき~~  

  10. 源智平朝臣 のコメント:

    曽禰好忠についてネットで調べてみましたが、「曽丹」と呼ばれて軽んじられ、苛められもした変人・奇人であった一方で、革新歌人として後世に高い評価を得ているようですね。あるネット情報で、好忠について折口信夫(民俗学者、国文学者、釈迢空と号した歌人)や正岡子規が次のようなコメントしているのを発見しましたので、紹介したいと存じます。特に折口信夫は好忠をべた褒めしており、注目されます。

    ○折口信夫曰く、
    1.曾根好忠は、歌の固定した事を其野性の敏感でとりわけ早く嗅ぎつけた。(折口信夫「短歌本質成立の時代 」より)
    2.時は溯るが、曾根好忠の作物などに、どうしても嫌ひになれぬものゝ多いのは、瞬間の捨て身の心境に適した文學樣式に誂へ向きの人だつたからであらう。(同「好悪の論」より)
    3.曾根好忠の平然と旧技巧を突破した新描写法、無知と無関心とに幸せられた固定解脱、又は、伝襲を逸れた所に生じた新鮮な印象、野性と野心とから来る作物の憑しさ・強さ・鋭さ。(同「女房文学から隠者文学へ」)
    ○正岡子規曰く、
    ・(幼い時に百人一首かるたの絵を見て)曾根好忠の赤き扇は中にもうつくしく感ぜられて今に得忘れず。(正岡子規「わが幼時の美感」より)

    百々爺の解説にあるように、好忠はファーストペンギンとして百首歌や毎月集を創始したことでも知られています。その百首歌の後半51首が別のネット情報(「千年を経て解けた岩代の結び松の謎」)に掲載されていますが、この51首は沓冠(くつかぶり)という折句で作られ、初めの31首はそれぞれの頭に例の「あさか山」の歌の、また末に例の「難波津に」の歌の一字ずつを詠み込み、後の20首には全て物名歌を並べています(「百人一首の作者たち」(目崎徳衛)参照)。こうした歌を見ると、好忠はどんな歌でも自由自在に作れる才能と知識を有しており、正に「歌作りの職人」とか「言葉遣いの天才」とでも呼びたい人物でもあったと思います。たった4句の俳句を作るために、毎月末、四苦八苦している小生からみれば、羨ましい限りです。

    最後に46番歌ですが、この歌は口調が良くて意味は分かりやすい上に、何とも不思議な魅力に溢れた(田辺聖子)素敵な歌であると思います。恋の意味もよく知らずに小学時代から百人一首かるたを暗誦していた小生ですが、その当時から好きな歌の一つでした。  

    • 百々爺 のコメント:

      ・ネットからの情報ありがとうございます。正岡子規が高評価をするのは分かるのですが折口信夫がべた褒めですか。「野生と野心と捨て身」がキーワードですかね。改めて曽禰好忠を見直しました。好忠も生存中は変り者として疎んじられてたものの平安時代後期になるとちゃんと評価され勅撰集に合計90首も入撰している。古今~新古今調からすると異端の好忠を受け入れ百人一首にも入れた定家(が代表するお公家社会)もエライと思いました。

      ・それにしてもネットって何でも調べられるんですね(智平朝臣の調べ方上手には感心します)。実はブログ管理人の在六少将さんが本サイトへのアクセス統計情報を見れるようにしてくれたのですが、それによると本サイトも我々フォローアーだけでなく外部検索(ヤフーとかグーグルとか)でのアクセスも毎日5~80件はあるようです。リピーターが増えればもっと上がっていくかも。「百人一首 在原業平」で検索すると本サイトに辿り着く。ネットの威力恐ろしいものです。

      ・「あさか山」「難波津」、手習歌ですね。好忠が折句の上下に万葉の歌でなく古近序にある手習歌を持って来てるのも面白いですね。「言葉遣いの天才」言い得て妙だと思います。
       
       →好忠の女性関係はいかがなものだったのでしょうね。
        素朴な泥臭い歌からすると高貴なお姫さまとのお付き合いはなかったのかもしれませんね。

  11. 小町姐 のコメント:

    【余談18】  名古屋大学博物館
    関東ではメイ大と言えば明治大学。当地ではメイ大と言えば勿論名古屋大学。
    その大学に忘年会を兼ねてASCの例会で訪れた。、
    輝かしいノーベル賞の授賞式も先ごろ終えたばかりであるがこの名古屋大学でも博物館の他にノーベル賞関連施設がいくつかある。
    2001年野依良治氏がノーベル化学賞を受賞されたのを記念して建てられた野依記念物質科学研究館。
    2008年本学卒業生の益川敏英博士と小林誠博士がノーベル物理学賞、併せて本学元助教授でノーベル化学賞を受賞された下村脩博士(おわんクラゲ)を記念して2011年創設されたノーベル賞展示室。
    まだ記憶に新しい昨年の青色発光ダイオード研究の赤崎勇氏とその弟子、天野浩氏の赤崎研究記念館等々。
    同大学の研究課題で自治体ではここでしか見られない展示物が数多くある。
    全くの門外漢ではあるがエピソードを交えた説明を聞いていると面白いと感じる部分もいくつかあった。
    広いキャンパスをメンバーはまるで学生にでもなった気分で散策した。
     
    ノーベル賞と言えば私には忘れられない思い出があるのです。
    ここで私のちょっぴり、プチ自慢を聞いてくださいな。
    2002年ノーベル物理学賞の小柴昌俊先生。
    そうです、今年度ノーベル物理学賞受賞の梶田隆章さんの恩師です。
    受賞後間もないころに偶然ホテルのロビーで小柴先生にお目にかかったのである。
    勿論お声をかけお祝いの言葉を述べて握手をしていただいた。
    そして図々しくも記念写真をお願いしたのである。
    快く受けてくださり先生ともども写真におさまりました。
    生涯にノーベル賞受賞者と直接お目にかかりお話できるチャンスなんて滅多にあり得ません。
    これが私の記念すべきささやかな自慢話で今日はその日のことを思い出す一日でもありました。

     

    • 百々爺 のコメント:

      アカデミックな余談、ありがとうございます。
      古典同好会みたいな仲間の人たちと理科系が中心の博物館を訪れる。素晴らしいです。名古屋大学はかくもノーベル賞に縁があるのですね。

      名大と言うと一種独特なユニークさを感じます。結構ちょっと変わった分野に力を入れていたりしますよね。私が携わっていたアジア諸国への法整備支援分野でも名大は「法政国際教育協力研究センター」という組織を持ち日本の斯界をリードしていました。何十年も前東山キャンパスができた頃に一回行ったっきりでしたので是非もう一度訪ねたいと思っていたのですが機会を逸してしまいました(先年東山動物園のタワーからキャンパスを眺めて感慨にふけったものです)。

       →ノーベル賞受賞者との握手なんてささやかどころか、とんでもない自慢話じゃないですか。思い出大切にしてください。

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