49番 伊勢神宮祭主 大中臣能宣 燃える恋

百人一首中「火」が出てくるのは49番歌のみ。火は燃える、燃え上がると手の施しようがない、でもいつかは消える。「梨壺の五人」の一人大中臣能宣の歌をみてみましょう。

49.みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ

訳詩:    禁中の御門を守る衛士たちが
       あかあかとかがり火を焚く
       私の恋はあのかかり火だ
       夜の間は狂おしい火にわが身さえ焼け
       けれど昼は なすすべもなく灰となる

作者:大中臣能宣朝臣 921-991 71才 神祇官の家柄 四位 三十六歌仙
出典:詞花集 恋上225
詞書:「題知らず」

①大中臣能宣 921-991 71才 正四位下 神祇大副 伊勢神宮祭主
・中臣氏は神事・祭祀をつかさどった豪族(仏教伝来当初は軍事の物部氏とともに排仏派)
 大化の改新の中臣鎌足が藤原姓を賜り藤原不比等以降藤原氏を名乗り藤原千年の栄華へと繋がって行く。不比等系列以外は中臣氏を名乗り後「大」がつき大中臣氏となる。

・神事・祭祀を司る役職=神祇官(太政官と並ぶ二官)長官が神祇伯、次官が神祇副
 →神社を統括、神に仕え神事を行う。行政上別格の位置づけか。
 →国家にとっても神社(伊勢神宮)と仏教(国分寺)は国を護る両輪。
 →神事・祭祀は有職故実の権化みたいなもの、必然的に世襲となったのだろう。

・能宣の家は代々神祇官 父頼基-能宣-子輔親-孫61伊勢大輔
 能宣は951年31才の時梨壺の五人として後撰集編纂に携わるが晩年は973-991年 19年に亘り伊勢神宮の祭主を務める。
 →伊勢ゆかりの人と言ってよかろう。
 →この大中臣氏から派生したのが藤波氏(藤波孝生元労相もその流れか)

②歌人としての大中臣能宣
・拾遺集に59首 勅撰集合計124首 三十六歌仙 村上朝の代表歌人の一人である。
 951年 31才で「梨壺の五人」に(他は源順・42元輔・坂上望城・紀時文)
 40平兼盛、48源重之、47恵慶ら歌人とは親しく交流
 権門にも出入りし円融帝、花山帝の歌会にも召されて出詠している。
 →明るくいやみのない性格とか、神祇官勤めということで一目おかれてたのかも。

・父頼基(三十六歌仙 勅撰集10首)子輔親(勅撰集31首)孫61伊勢大輔(勅撰集51首)
 →代々の歌人一家である。

・能宣 天徳歌合に二番出詠
 題:桜 兼盛と対戦 引き分け 
 能宣 さくらばな風にし散らぬものならばおもふことなき春にぞあらまし
 兼盛 さくらばな色みゆるほどによをしへば歳のゆくをも知らでやみなむ

 題:恋 中務と対戦 能宣の勝ち
 能宣 こひしきを何につけてかなぐさめむ夢にもみえずぬるよなければ
 中務 きみこふる心はそらにあまのはらかひなくてふる月日なりけり

千とせまで限れる松も今日よりは君にひかれてよろづ代や経む
 能宣が敦実親王(宇多帝の子)の子の日の祝いに詠んだ歌
 人々は賞賛したが父頼基は激怒し枕で能宣をなぐりつけた。
 「天皇の子の日に召し出されたらこれ以上のどんな祝い歌を詠むつもりなんだ」

 →常に皇位争いに敏感でなくてはならない宮廷歌人としては一人の親王に肩入れするのは拙い。控えめに行くべしということだろうか。

・女性関係の逸話 拾遺集&その詞書より
  伊勢よりのぼり侍りけるに、しのびて物いひ侍りける女のあづまへくだりけるが、逢坂にまかりあひて侍りけるに、つかはしける
   ゆくすゑの命もしらぬ別れぢはけふ逢坂やかぎりなるらむ(拾遺315)

 →伊勢から京へ上る能宣と東国へ下る昔馴染だった女が逢坂の関で遭遇
 →正しく源氏物語の「関屋」ではないか。

・その他に女性関係(妻・愛人)の話は見当たらなかった。
 →まあ神に仕える役職の男がチャランポランだったら困る。きっと固かったのでしょう。

③49番歌 みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ
・48番歌に続き「物をこそ思へ」歌の構造も48番歌と似ている。歌合せであろう。
 →第二句までを序詞とした一首の仕立て

・「衛士」=諸国から召された兵士 左右衛士府に600人づつ 勤務は3年間
 →成績優秀で身元のしっかりした若者が選ばれて来たのであろう。晴れの宮廷勤務である。

・「みかきもり」=御垣守 宮城の十二門を警備 夜を徹して篝火を赤々と燃やす
 →メラメラと燃える火、凄い迫力だったろう。転じて燃え上がる恋情の象徴。
 →映画の官能シーンのバックには必ず燃え上がる火がある。定番である。

・夜は燃え上がり、昼は消え入る。これは相当激しい恋だろう。
 →能宣も宮中に想い人がいたのかもしれない。

・49番歌は能宣集にはなく「古今和歌六帖」に作者不明で類似歌がある。 
  君がもる衛士のたく火の昼はたえ夜はもえつつ物をこそ思へ
 →これを以て49番歌は能宣の歌ではないというのが有力説。
 →どうなんでしょう。柿本人麿や猿丸大夫じゃあるまいし。間違われたとしたら能宣自身も迷惑でしょうし、定家の検証能力にも疑問符がつく。ここはサラリと流しておきましょうか。

・数多くある派生歌の中から定家のを一つ
  暮るる夜は衛士のたく火をそれと見よ室の八島も都ならねば(藤原定家 新勅撰集)

④源氏物語との関連 あまり思いつかないが、、。
・六条院夏の町 初秋、源氏は玉鬘を訪れて「御琴を枕にもろともに添ひ臥し」篝火をたかせて歌を詠み交す(篝火2)
  
  源氏 篝火にたちそう恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ
  玉鬘 行く方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば

  →無理筋の恋、大体琴を枕に添い臥すのもいかがなものか。。

・「夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ
  玉鬘の母親、夕顔との恋。夕顔を見初めた源氏はその魅力(多分性的魅力が大きかったのだろう)にとりつかれ夜も昼も見境がなくなるまでに恋焦がれる。

  、、、今朝のほど昼間の隔てもおぼつかなくなど思ひわづらはれたまへば、、、、
   人のけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、もの深く重き方はおくれて、ひたぶるに若びたるものから世をまだ知らぬにもあらず、いとやむごとなきにはあるまじ、いづこにもいとかうしもとまる心ぞとかへすがへす思す。
(夕顔9)

  →この夕顔の叙述がいい。素直でおおらかしっかりしておらず幼い感じ、、、一昔前の男性好感度ナンバーワン女性でありました。(「源氏物語 道しるべ」より)

【松風有情さんから本年の画き初めをいただきました。ありがとうございました】
 49番歌 http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/01/KIMG0252.jpg
  →和歌絵本源氏物語 篝火の変換リメークとのことです。
 
 (参考)
 源氏物語 篝火 http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/01/KIMG0255.jpg

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49番 伊勢神宮祭主 大中臣能宣 燃える恋 への19件のフィードバック

  1. 松風有情 のコメント:

    49番歌
    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/01/KIMG0252.jpg

    源氏物語 篝火
    http://100.kuri3.net/wp-content/uploads/2016/01/KIMG0255.jpg

    思い付きで、正月の新聞折り込みチラシを使い切り絵をしてみました。
    以前この御垣守の衛士を一度描こうとして止めた事を思い出したからです。
    その切り絵を源氏物語『篝火』に置いてみたら予想通り主役が入れ変わり悪くはない。
    そのまま切り文字も造って百人一首に変換リメイクしてみました。
    初めての試みというか正月の遊び絵ですが、いかがでしょうか?
    (原画としては残せませんが、、、)

    久々の川柳は
    衛士に絵師 篝火変換 似て非なる

    • 百々爺 のコメント:

      いい思いつきじゃないですか。

      源氏の玉鬘への想いは炎が上がるというよりくすぶった煙たい感じのものでしたよね。能宣の恋の方が篝火が勢いよく燃え上がる激しいものだったのかもしれません。

      川柳、ありがとうございます。和歌にも本歌取りがあるんですから絵にもちょっと拝借の流用があってもいいのかもしれません。

  2. 小町姐 のコメント:

    伊勢ゆかりの人物で大中臣能宣、伊勢大輔のお爺様、しかと覚えておきましょう。
    藤原不比等系列以外は中臣氏を名乗り後「大」がつき大中臣氏となる。
    元はと言えば同系列に繋がるわけで由緒ある家柄なのですね。
    そして藤波へと言うわけですか。甘党の私、利休饅頭を思い出しますね~
    そうそうたる歌人との交流で歌合でも良い歌を詠んでいますね。

      千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代や経む(拾遺集)
    これに勝る傑作が詠めるのかと叱咤激励した父頼基。
    厳父のおかげで大中臣家は代々にわたって歌人を出し「重代の歌の家」と称された。
    子、能宣も父の期待に応えた。
    本来は人が松の千歳にあやかるはず、それを逆手にとり松も樹齢を伸ばす。
    年があらたまった最初の子の日、王朝人は野に出て小松を引いた。
    いわゆる「ねのひ」の遊びである。
    お酒の「ねのひ」はここから名付けたのかも知れませんね。

      みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ
    この歌からはやはり鮮やかに絵が浮かびますね。
    「火」から来る赤々とした情熱のイメージと恋の炎がだぶります。
    神に使える身とて秘めたる恋はあったでしょうし秘すればいやが上にも恋の炎は燃え上がったでしょう。

    源氏物語「篝火」
    余り印象に残っていないのでさらえて見ましたが短いお話でしたね。
    玉蔓への断ち難い源氏の恋情の贈答歌でしたね。
    松風有情さんの画き初めと和歌絵本源氏物語「篝火」比べてみました。
    なるほど和歌絵本を下敷きに衛士が黒々とした影になり見守る。
    考えましたね、良いアイディアだと思います。

    昨晩男孫(中一)から電話が入りました。
    「あのさー婆ちゃん百人一首のことで聞きたいんだけどさー」
    今度学校の授業で百人一首大会があると言う。待ってましたとばかり何々?
    我が○○の都の○○しかが何とかで・・・と始まりました。
    あ~喜撰法師ね・・・と言うわけで今日は百々爺さん作成の「百人一首一覧表」と年末の「百人一首をご一緒に」の資料持参で孫の家で講義、その後百人一首の実地勉強です。
    「お年玉で百人一首を買ってもう既に10個覚えたよ」と言うのですごいねと、聞いてみると
    秋の田の わが衣手は
    春過ぎて 衣ほすてふ
    あしびきの ながながし夜を
    以下7首、省略で初句と4句目だけを暗記しているのです。
    びっくりぽん!!そんなの有り?今どきの子ですね~
    確実に7枚撮れる方法を婆ちゃんが教えてあげるからねと・・・
    今日は昼からランチ付き(婆持ち)のかるた会に行ってきま~す。

    • 百々爺 のコメント:

      ・大中臣能宣、31才で梨壺の五人として後撰集選定に従事し40才で天徳歌合に出詠、歌人として華々しい活躍をした後53才から71才で亡くなるまで伊勢神宮の祭主を務める。地方勤務と言っても他の専門歌人たちが多くは受領として各地を転々としたのとは趣が違うように思います。伊勢に骨を埋めた人と言っていいのかもしれません。

      ・色んなこと連想されますねぇ。すばらしいです。
       伊勢神宮と言えば利休饅頭ですか。赤福よりは高尚ですかね。
       日本酒「ねのひ」は愛知のお酒なんですね。盛田家だとか。

       子の日に小松を引き抜いて来て長寿を祈る、、、分かるような気もしますが折角の小松だって引き抜いたらそれでお仕舞ですけどねぇ。植えるというなら分かるんですが。

      ・お孫さん、頼りになるお祖母ちゃん持って幸せですね。お年玉で百人一首を買う、もうそれだけで立派です。そして上5と下7だけながら10個覚えればなお立派。お祖母ちゃんの指導よろしきを得られれば100首完全踏破も難しくはないでしょう。がんばってください。

      • 小町姐 のコメント:

        孫たちとのかるた遊び、疲れましたね~
        事前に「百人一首とは」に始まり一字決まりと大山札の説明。
        読み手も取り手もおぼつかないもの同士。
        テープを回すには取るのが追っ着かない。
        それに①から順番と言うのも気に入らないので仕方なく私が読みながら取る。
        新世代はYouTubeを利用してれ練習するんですってよ。
        序歌入りでランダムにしかも下は2回読みあげてくれるそうです。
        それでも取れないときは元に戻す。
        世の中変わりましたね。一度聞いてみて下さい。
        孫も読むと言うので交代しましたが全く古語に慣れていないのでその読みっぷりは想像にお任せします。
        5人で計三回、やはり子どもにはかないません。
        わからないなりにも取るのが早い!!これは反射神経か?
        最後は坊主めくりをワンコイン賭けてで締め、末っ子が獲得してめでたしめでたし。
          初かるた大和言の葉伝えまし永久にあれよと祈りてやまむ

        • 百々爺 のコメント:

          お疲れさまでした。それだけ手ほどき受ければ学校でのかるた会も自信を持って参加できるでしょう。

          「ちはやふる」(3,4月2部公開)の予告映像見ました。若い人(小中高生)の間ではかるたブームになるかもしれません。百人一首を知ってる爺ちゃん・婆ちゃんはナウいと思われるかも。。

  3. 浜寺八麻呂 のコメント:

    “百人一首中「火」が出てくるのは49番歌のみ”とのこと、”みかきもり衛士”と言った武士的人物が詠われるのも、49番歌までにはなく、百人一首でやはりこの一首のみか。
    ”みかきもり衛士”と詠われているこの歌も男性的な歌の響きがある。48番も身を裂けんばかりの男の歌、百人一首ではめずらしい男の匂いの強い歌が2首続いていると思う。

    ”百人一首 今昔散歩”によれば、ご存知であろうが、平安宮の大内裏を囲む塀が”外重” 朱雀門・待賢門・陽明門など宮城十二門、内裏の外郭を囲む塀は”中重” 建礼門・建春門など中門、さらにその内部にある塀が”内重” 長楽門・永安門など内門と呼ばれていた。
    絵画や映画などより想像するに、衛士が焚く篝火があったのは、”中重”の門と”内重”の門とその内側であったのであろうか?

    ”千人万首”より、よかった能宣の歌を一首

    もみじせぬ ときはの山にすむ鹿は おのれ鳴きてや 秋をしるらむ(拾遺集190) 

    なお、小生PCでは松風さんの絵を見ることができません、何か対応いただけますか。よろしくお願いします。
                          

    • 百々爺 のコメント:

      松風さんのコメント欄にURL貼り付けました。これは見られますよね。
      私の投稿欄に貼り付けると直接クリックでは表示されるようにならないようです。やり方が違うのかもしれませんがよく分かりません。私の投稿欄のURLそのまま検索欄にコピーして検索すれば見れるのではないかと思いますが一度試してみてください。

       ・・・・コメントへの返信はのちほど・・・・

      • 浜寺八麻呂 のコメント:

        URLを貼り付ければ、確かに表示されますね。今後そうします。お手数掛けました。

    • 百々爺 のコメント:

      ・そうですね、武士的人物が詠われているのは49番歌のみだと思います。78番歌須磨の関守には武士的荒々しさは感じられませんから。宮中を護衛する衛士は見かけだけでなく強面のイメージもあったのでしょう。後宮の夜は男女が通い合い睦み合う淫靡な感じがしないでもないですがその安全は衛士たちによって守られていたということでしょうか。

       →百人一首には年代的に保元の乱以降の争乱期に詠まれた歌も多い訳ですが騒乱を思わせるような歌は一切ない。王朝和歌とはそんなもので、それを象徴する定家の言葉が「紅旗征戎は吾が事にあらず」だったのでしょう。

      ・大内裏~内裏の構造、さすがに何重もの塀と門に守られているのですね。門って(特に内裏の内重の門)ってそんなに多く要るんでしょうかね。ちょっと不思議です。

       →衛士はどこで篝火を焚いていたのか。私も中重と内重の間かと思いましたが次の百合局さんコメントの更級日記記述によると帝の娘が御簾の内から衛士を直接見かけたとあるので内重の中でも焚かれていたことになりますかね。

  4. 百合局 のコメント:

     『更級日記』に衛士にまつわる有名な伝説「竹芝寺」の物語があります。 
     武蔵の国から召された火たきやの火たく衛士と帝の皇女とのロマンチックな話です。そこに「(武蔵の)国の人のありけるを、火たきやの火たく衛士にさしたてまつりたりけるに、~~とひとりごち、つぶやきけるを、その時、みかどの御むすめいみじうかしづかれ給、ただひとり御簾のきはにたち出で給て、柱によりかかりてご覧ずるに、このをのこのかくひとりごつを、いとあはれに、~~御簾をおしあげて、「あのをのこ、こち寄れ」と召しければ~~」という箇所があります。
     松風有情さんの今回切り絵で工夫された絵を観て、この情景そのものだなーと思いました。いつも楽しい絵をありがとうございます。

     『枕草子』137段(三巻本を底本、笠間書院、校注枕草子)にも「火焼屋(火炬屋)の記述があります。
    なほめでたきこと、臨時の祭、~ 試楽も、いとをかし~ 」ここで、「火たき屋」女がいるのはどうしてか? それは前述のロマンスのせいで、清涼殿の近くには男の衛士をおかなくなったとか・・・
     両方のお話を読むと面白いですよ。

     試楽の夜の火炬屋の位置は清涼殿の前庭(孫廂の前)(仁寿殿との間)、呉竹台に近い方です。 前述の二つの話からも何となくそれはうかがえます。
     祭日の火炬屋の位置はそれよりももう少し滝口陣寄りです。
     浜寺八麻呂さん、その資料必要だったら言ってください。百々爺に渡しますので。

    『紫式部日記』の中にも親王出産した中宮彰子に父道長が贈った品物(「夜べの御贈り物~」のところ)があって、「能宣、元輔やうの、いにしへいまの歌よみどもの、家家の集書きたり」と記されていて、歌人としての評価大だったことがわかります。
     権門の求めに応じ、屏風歌、行事和歌の専門歌人として、能宣、元輔は双璧だったようです。

     謡曲『鉢木』にある「松はもとより煙にて、薪となるも理や切りくべて今ぞ御垣守、衛士の焚く火はおためなり、よく寄りてあたり給へや」はこの能宣の歌「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ」からとっています。

    • 百々爺 のコメント:

      ・さすが古典に通じた百合局どの、宮中での火の扱いの詳しい説明ありがとうございます。

       更級日記の説話は強烈ですね。でも素朴情熱的ないい話だと思います。「竹芝寺」、三田の「済海寺」あたりにあったとの説もあるようですね。平安時代、江戸一帯には何もなかったイメージですが業平の言問橋もそうだし海岸線に沿っては道筋+村落があったのでしょうか。「竹芝」は今でも地名として残っていますもんね。

       枕草子の記述も面白い。更級日記と符合しますね。確かに帝妃や内親王が住まわれる御殿の真ん前にイケメンの衛士ではアブナイかもしれません。

       →おっしゃる資料ください。八麻呂さんにパスします。

      ・「紫式部日記」にそんな記述あるのですね。なるほど梨壺の五人の位置付けがよく分かります。古今集、後撰集、拾遺抄に次いで能宣、元輔の私家集とありますもんね。

       →待てよ、元輔の例の42「契りきなかたみに袖をしぼりつつ~」は当然元輔集にも載ってたんでしょうね。紫式部はこの歌の正体(弟の惟規が元輔に代作を頼んだ歌)をあとでこっそり中宮彰子に暴露したのかもしれませんね。 

      • 浜寺八麻呂 のコメント:

        百合局さん、衛士と篝火の解説ありがとうございます。さすが博学、感心しております。資料は百々爺より受け取り、見させていただきます。

        更科日記にある”竹芝寺”の物語、原文は読んでいませんが、”田辺聖子の小倉百人一首”(P231)にこの物語の詳しい解説が載っており、どんなお話かはわかりました。そんなのあり?かと思うような面白い話しでした。また、この後、火炬屋には女が詰めるようになったとも書いてあります。

        それから、”田辺聖子の小倉百人一首”には、清少納言の篝火に絡むもう一つの話として、清少納言が初めて宮仕えをした翌日、期待と不安と嬉しさに夢見心地で後宮の廊を急いでいると、雪が降っており、雪が”火炬屋の上に降り積みたるも めずらしうをかし”と枕草子に書いてあると解説しています。なんとも絵になる話ですね。

        宮中に燃え滾る篝火は、恋にとっても、雪の夜にも、欠かせない炎だったのでしょう。

  5. 源智平朝臣 のコメント:

    古事記によれば、中臣氏の祖先は天児屋命(アメノコヤメノミコト)で、この神様は天照大神の天の岩屋隠れの際に、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いた時に天照大神に別の尊い神がいると思わせるために鏡を差し出した神の一人です。その後、天児屋命は天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が葦原の中つ国(日本のこと)に天から降りられる際に(天孫降臨の際に)、瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連の祖となったとのことです。祖先の神様が岩戸の前で祝詞を唱えたことからすれば、中臣氏が神事や祭祀を司る役を担ったのは当然だったのかもしれません。

    祭主(さいしゅorまつりのつかさ)は伊勢神宮のみに置かれている神職の役職で、推古朝に中臣鎌足の父が祭官となったのが初代とされ、天武朝で祭官から祭主に改められ、以降、明治以前までは、代々中臣氏(大中臣氏&藤波氏)が任命されていました。主な役目は伊勢神宮の大祭に、奉幣使として参向し、祝詞を奏上して、天皇の意思を祭神に伝えることです。戦後は皇族出身の女性が就任しており、現在の祭主は平成天皇の姉である池田厚子さんが就任しており、臨時祭主を同じく娘である黒田清子さん(サーヤ)が務めています。

    以上、中臣氏と伊勢神宮の祭主に関する雑学を披露しましたが、大中臣能宣は梨壺の五人や三十六歌仙に一人に選ばれるほどの歌の名人で、49番歌も良い歌ですね。「よるはもえ vs ひるはきえ」の響き具合、「えじのたくひの」の「の」、「みかきもり・・もえ・・もの・・おもへ」の「も」などの音調の良さ等から、声を出して歌うとまことに口調が良く、能宣は言葉の魔術師といえるような才能の持ち主(「橋本武」より)であったのでしょう。

    最後に白状すれば、生家で正月に百人一首カルタを取っていた智平は、この歌も子供の頃から諳んじおり、ぼんやりと「火を焚きながら夜回りをしている夜警の兵士の歌」だなと思っていましたが、まさか恋の歌であるとは大人になるまで知りませんでした。

    • 百々爺 のコメント:

      智平朝臣、「神の世界」にも歩を進めているようですね。色々教えてください。

      ・中臣氏の祖先も神さまですか、なるほど。不比等は古事記の編纂に大きな力を持っていたでしょうから祖先を神さまに仕立て上げるのも当然でしょうね。むしろ本来神事専門職だった中臣氏が藤原の姓をもらって政治の方面にしゃしゃり出て来た方が重要事項なのかもしれません。

      ・「斎宮」制度はなくなったものの祭主はずっと続いていたのですね。先年式年遷宮で祭主を務める黒田清子さんの姿が映し出されていました。何と言っても伊勢神宮は「ザ神宮」ですからね。

      ・ホント声に出して繰り返す度に49番歌のすばらしさを感じるように思います。

  6. 枇杷の実 のコメント:

    この歌の特徴は夜と昼という時間対比の中に、恋情の高揚と消沈が込められており、それが「つつ」によって繰り返されている点である。加えて夜の黒と炎の赤の色彩対照は妙に官能的でさえある。そういった有心の序が、恋の心情風景となって幻想的な世界を構築している。(吉海直人氏)

    これが恋の歌であるとは解説書を読むまでは気づきませんね。
    最初のイメージは夜通し宮中警護に当たる兵士たちは方々で篝火を焚き、松明を灯しながら巡回任務に就く。朝が来ればサッサと火を消して家路につく。思うことはこの任務はキツイな~、地方に戻りたい、 故郷の家族は今頃どうしているのかな~、世の中甘くないな~・・・ということかなと。
    ポイントは「物をこそ思え」で、中世の和歌の世界では「思う→恋」をまず想定しないと解釈は出来ない。恋以外を「思う」ことば、単なるThinkは何と表現するのでしょうか。おぼゆ?

    百人一首一覧をみると「思う」の詞を含むものは全部で21首、そのうち17種が恋の歌に分類されている。その他の、#28山里は・・(宗于)、#66諸共に・・(行尊)、#83世の中よ(俊成)、#99人もをし・・(後鳥羽院)の4首は恋の歌には分類されていない。人を「思う」ではなく世のあわれと「覚ゆ」ことなのか。

     恋かなと 思っていたら 不整脈 (シルバー川柳)

    • 百々爺 のコメント:

      ・「もの思ふ」は8首でしたが「思ふ」となると21首もありますか。「もの思ふ」でも99「~世を思ふゆえにもの思ふ身は」だけは恋の歌ではないということですね。

       これだけ「物思い」「恋を思う」歌が多いと王朝人は生涯ずっと四六時中恋をしていたのかと思ってしまいますね。でも多分実際はそうではなかったでしょうね。やはり熟年になって家庭も仕事も落ち着いたら新しい恋への情熱も冷めたのではないでしょうか。でも歌を愛した王朝人は年をとっても若かりし昔を思い出し歌を詠んで心を癒した。それが雅だったのでしょう。

      ・百人一首で自分・相手以外の第三者の職業人が登場するのは、
        11あまの釣舟
        46舟人
        49御垣守衛士
        78須磨の関守
        90雄島のあま
        93あまの小舟

        あまが多い。衛士は極めて異色だと思います。 

  7. 文屋多寡秀 のコメント:

    新春早々、皆様の多種多芸に感服しております。

    絵画、きり絵、Youtube歌留多取り、古事記レビュー、てんこ盛りの盛況ですね。それぞれの年末年始のご活躍ぶりが伝わってきます。

    さて、49番歌。この歌、恋の歌である事は間違いありませんが、実は恋の心情は味付けの一つで、この歌の真骨頂は「夜の闇に浮かぶ炎の美しさ」を描いたことにある、との説もあるようです。

    源智平朝臣氏のおっしゃる通り、何度詠んでも流れるような美しい響きの歌ですね。しかも絵になるような情景が浮かび上がります。これぞ言葉の魔術師・能宣マジックですね。

     風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思うころかな
    48番歌の重之さんが海の岩に打ち当る波飛沫を鮮烈に描いたものとすれば

     みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ
    49番歌は、夜と炎の美しいコントラストと静謐な情景を描いた、とてもビジュアルで哲学的な雰囲気もある一首ですね。

    古来日本の祭りには、炎の美しさを味わえる「火祭り」がたくさんあります。
    京都・鞍馬の火祭、地元池田のがんがら祭り然り。
    火の祭りには独特の魅力があり、夜の闇を照らす篝火が能の世界にもふんだんに取り入れられているのも、火の魅力に依るものでしょうか。
     

    • 百々爺 のコメント:

      48番49番を並べての鋭い考察ありがとうございます。
      確かにこの二つの歌は目を閉じると映像が浮かんできます。

      49番歌の真骨頂は「夜の闇に浮かぶ炎の美しさ」ですか、なるほど。ご指摘のように日本の祭りには「火」がつきものですね。何かというと「火」が大事な役割を果たす。NHKのゆく年くる年の除夜鐘のシーンでもごうごうたる焚火は欠かせません。穢れたものは水に流して清めるか、火に燃やして消し去るか。宗教心とも繋がっているのでしょう。

       →48番「水」と49番「火」の対比も意識されたものでしょうか。 

      【蛇足】
       「火祭り」といえば伊藤久男の「イヨマンテの夜」を思い出しました。
        古いですねぇ、今どきカラオケでも誰も歌わないでしょう。
          イヨマンテ 燃えろかがり火 ああ 満月よ~~

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