登場人物100人の人間模様

登場する100人、男女の比率や身分・官位については先に概観しましたが登場人物相互の人間関係・人間模様について考えてみました。先に触れましたが平安時代中期の時点で全国の人口規模は400万人台、平安京が人口十数万人 内貴族(五位以上)200人前後 家族入れて約1000人程度。
 →現代に比べようもないちっぽけな狭い世界です。
 
百人一首の歌人たちは五位ならずとも名のある貴族でありその数は限られていた。即ち同時代に生きていた貴族たちはお互い面識はなくても名前くらいは知っていた、そんな間柄だったのではないか。従って政治的ライバル・恋のライバル・恋愛関係・仲良し友人・親子兄弟血縁関係・勝者敗者など色んな人間模様を随所に見ることができる。政治上の勝者敗者が背番号を連ねて登場する。二人の想いや如何ならん、、、なんて想いを馳せるのが百人一首を味わう醍醐味だと思っています。

「百人一首の作者たち」(目崎徳衛)「百人一首の歴史学」(関幸彦)あたりからピックアップした人間模様の塊り(注目ポイント)を列記しておきます。

①万葉集の時代
 飛鳥万葉 何と言っても天智・持統帝 & それを支えた柿本人麻呂
 奈良万葉 山辺赤人・大伴家持

②平安初期
 小野小町を中心に
 比較的大らかな交遊関係が偲ばれる。

③陽成院-源融-光孝天皇-元良親王 
 皇位を巡る四巴え。歯車が一つ狂っておればそれぞれ人生は暗転・明転していたかも。
 賜姓源氏源融、一夜めぐりの君元良親王 光源氏のモデルである。

④政治的敗者 在原行平・業平
 菅原道真と藤原忠平
 道真の敗北により藤原氏全盛時代が確立する。

⑤古今集撰者たち 専門歌人たち
 紀友則 紀貫之 凡河内躬恒 壬生忠岑
 天徳の歌合せ 平兼盛vs壬生忠見

⑥一条朝 定子後宮vs彰子後宮 藤原道長摂関政治の全盛期
 ずらりと並ぶ寛弘の女房たち
 道綱母・儀同三司母・和泉式部・紫式部・大弐三位・赤染衛門・
 小式部内侍・伊勢大輔・清少納言

(白河朝 待賢門院璋子・西行)
 →この話も強烈、是非話題にしていきたい。

⑦保元の乱
 崇徳院 藤原忠通

(平家の全盛~後白河院の暗躍~源平の戦い)
 →「紅旗征戎は吾が事にあらず」とは言うものの百人一首の行間を読んで平安王朝終焉について考えたい。

⑧源平~承久の変
 式子内親王-藤原定家 
 後鳥羽院-藤原定家

またまた、歴史事項の羅列みたいになりました。実際には個々に突っこんで人間模様に踏み込んでみたいと思っています。 

(追記)親子で入っているのが17組(18組説もあり)ちょっと多すぎないだろうか。
  天智(1)-持統(2) 遍照(12)-素性(21) 陽成院(13)-元良親王(20)
  文屋康秀(22)-朝康(37) 定方(25)-朝忠(44) 壬生忠岑(30)-忠見(41)
  清原元輔(42)-清少納言(62) 伊尹(45)-義孝(50) 公任(55)-定頼(64)
  和泉式部(56)-小式部内侍(60) 紫式部(57)-大弐三位(58) 
  経信(71)-俊頼(74)-俊恵法師(85) 唯一親子三代に亘り入選!
  忠通(76)-慈円(95) 顕輔(79)-清輔(84) 俊成(83)-定家(97)
  後鳥羽(99)-順徳(100)
以上が17組

  平兼盛(40)-赤染衛門(59)も親娘という説もある。この方が面白いか。

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登場人物100人の人間模様 への10件のフィードバック

  1. 小町姐 のコメント:

    平安中期の人口が400万、内貴族が200人、家族含めて1000人前後。
    この狭い世界の中で皇位継承、政治、出世争い、恋の駆け引き、様々な人間模様が織りなされた背景を探るには歌人を知ることが先ずは重要かつ、手っ取り早いですね。

    ざっと見ても万葉の大らかな時代でさえも壬申の乱に始まり最後は鎌倉の承久の変に至るまで様々に大きな事件が起きています。
    光もあれば闇もある。明暗、愛憎悲喜交々です。
    昨年学んだ「源氏物語」の背景がなお一層鮮やかに甦るのではないでしょうか?

    本番では一人一人の人物関係や繋がりに焦点を当てその歌の背景に思いを馳せ想像力逞しく楽しんでいければと思っています。

    親子関係の他に一つ挙げれば兄弟(行平、業平)がいますが他にもいるのでしょうか?
    紀友則、紀貫之は従兄弟でしたね。

    • 百々爺 のコメント:

      1.飛鳥・奈良~平安末・鎌倉初期にわたる百人一首の600年間。全くちっぽけな狭い世の中だったようですね。その原因はやはり人口が少なかった(増えなかった)ことでしょう。その意味ではこの600年間は平和で安定の時代というより停滞の時代だったと言った方がいいかもしれません。そしてこの600年間は日本文化(日本人のものの考え方・感じ方)を熟成する期間でもあったと言えましょうか。鎌倉武士の世の中になって初めて生産活動・経済活動もダイナミックになり価値観の多様化に伴う権力争いがすさまじさを増す。。。そんな歴史過程のように感じています。

      2.100人中兄弟は16番行平・17番業平だけ。この二人も母は違うようです。33番紀友則・35番紀貫之は従兄弟。他にも従兄弟(父が兄弟)は12番遍照と14番源融、25番藤原定方と27番藤原兼輔。従兄弟(母が姉妹)は50番藤原義孝と55番藤原公任とのこと。

       これら兄弟・従兄弟たちがそれぞれどれくらい親密な血縁関係であったかはよく分かりませんが。。

       まあ、狭い社会だったとだけ考えておきましょうか。

  2. 文屋多寡秀 のコメント:

    ちょっとテーマにそれまして、小町姐の歴女ぶりには常々舌を巻いておりますが、先日家内の田舎(滋賀高島)に墓参に参りましたところ、義理の姉がこれまた相当な歴史万葉好き。近江をはじめ畿内の各所を歴史散歩しているではありませんか。滋賀・高島町内だけでも万葉歌碑が6か所在るとのこと。白髭神社には「紫式部歌碑」「芭蕉句碑」「鉄幹・晶子句碑」までも。藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱に深くかかわる乙女が池。明智光秀が設計し信長の甥・信澄が築いた大溝城跡。その大溝城主には津の分部氏が移封された。な~んて、嘘みたいなホントの話。そしてかの壬申の乱の大海人皇子が琵琶湖西岸を南下し三尾城(みおのき)で朝廷軍を破り大津を目指したとも。本当に歴史は奥が深~いですね。アルコールならぬノンアルで通した歴史秘話語りの半日でした。

    • 百々爺 のコメント:

      えっ、それはすごい!小町姐に高島姐ですか。文屋どのも大変ですなぁ。

      高島市、琵琶湖湖西は全くなじみがありません。万葉の旅、ちらっと見てみました。いっぱい詠まれていますね。万葉歌枕の地なんですね。紫式部がなんで関係あるのかと思ったら越前武生に赴任する時通っているんですね。納得です。京から北陸(福井)へのルートは湖西ルートが一般的だったということでしょうね。

      それと、壬申の乱ですか。大海人軍は湖西からも近江京に攻め上った。これも瀬田川決戦ばかりに目がいくので湖西のことはあまり考えませんでした。勉強になりましたです。ありがとうございます。

  3. 百合局 のコメント:

    もうすぐ四月。いよいよスタートですね。桜の満開と重なりそうで良い気分ですね。
    「百人一首」(あるいはそれぞれの歌のもとの歌集)からの引用や、その和歌にヒントを得て作られた能・謡曲、それから派生した浄瑠璃、歌舞伎の演目や言葉はとても多いのです。調べ出すと限がありません。
    私が謡いをはじめて、最初に手にした謡本は「野守」でしたが、そこにも出ています。稽古の途中でドキッとしますよ。
    四月に入ったら和歌にあわせて順に少しずつコメントしたいのですが、膨大な量(たとえば謡曲は200曲)なので、わかった範囲で少しずつコメントします。従って前後することもあるかと思います。
    「百人一首」だけでなく「源氏物語」の影響も合わせて調べるつもりです。
    多分、一年間ではとても無理だと思うので、あとは私自身の楽しみとして続けていく予定です。

    • 百々爺 のコメント:

      古典から派生した伝統芸能、百合局さんにとっては好きでたまらない世界でしょうからさぞワクワクされてることでしょう。こちらも楽しみにしています。

       能・謡曲→浄瑠璃→歌舞伎→落語→映画→マンガなどなど

      皇族貴族の古典文学を原点として段々と庶民大衆レベルの娯楽になっていく。確かに調べ出したらきりがないかもしれません。源氏物語原文全文朗読に匹敵するワークでしょうね。楽しみながら進めてください。

  4. 源智平朝臣 のコメント:

    いつか申し上げたように小生は小学生の時から百人一首を楽しんでいましたが、作者についてきちんと調べたことはありません。この談話室で作者の人物像や人間関係を知ることは、ある意味で飛鳥~鎌倉初期600年間の歴史を司馬遷の史記のように紀伝体で学ぶことと同じであり、歴史好きの小生にはとても楽しみです。

    と言っても、我々が高校時代に習った日本史に登場するような人物、特に政治的な実権を握った人物はあまり作者に選ばれておらず(例えば、藤原道長、平清盛、源頼朝などの歌は無い)、政治上の敗者・政治的な野心を抱かなかった者・政治史より文化史に名前が出てくる者(主に女性)等が多いようなので、百人一首を通じて600年間の歴史を切れ目なく学ぶは無理でしょうね。でも、その代わり、高校で学ぶ歴史(表の歴史)には登場しないような人物の生き様や人間関係を知ることを通じて、裏の歴史を学べる楽しみがあると期待しています。

    • 百々爺 のコメント:

      そうですね、道長・清盛・頼朝は入っていない。まあ歌人でもないしましてや勅撰集には縁のない人たちだから止むを得ないでしょう。でも居並ぶ寛弘の女房たちの歌で道長の摂関全盛を考え、77番崇徳院の歌以降源平の争い・平安王朝の崩壊について考えていきたいと思います。

      飛鳥・奈良朝で日本のかたちができ、平安王朝が400年も続く。何故400年も続いたのか、武士の台頭などと言うが何故平氏・源氏に平安王朝は崩壊させられたのか、藤原貴族は何を考えていたのか、、、みな定家みたいに「紅旗征戎は吾が事にあらず」だったのか。その辺に一番関心があります。考えて行きましょう。

  5. 松風有情 のコメント:

    古典から派生した伝統芸能には、日本の浮世絵もぜひお忘れなきよう。
    何とか皆様に付いていくけるように、今、歌川広重の謎解き浮世絵富士三十六景を勉強中です。

    • 百々爺 のコメント:

      なるほど浮世絵もそうですね(伝統芸能じゃないかもしれませんが)。広重を勉強されている、いいですねぇ。東海道五十三次もあるし歌枕も随分と画いているのでしょうね。是非浮世絵になってる歌枕、、、コメントを載せてください。

      今年は童謡画に挑戦とのことでしたが少しでも百人一首歌枕絵も画いてみてくださいよ。期待しています。

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